17.





敷島さんが先輩にしがみつき、その行為を見せつけるように茅代に視線を送ってきたこと。
そのときに茅代が感じたものは。

しいて言えば、やきもち。

けれどそれだけじゃない何か漠然とした、もやのような思いが絡まってきてこの2、3日ずっとそのことを思い出しては密かにため息をついていた。
悪い感情。
と茅代が子供のころから呼んでるものに、それは似ていた。

(いけない、いけない)

知らず知らず、首を横に振る。
しゃらしゃらと自分の長い髪が左右に揺れる音がする。

――…暗い気持ちは、あっという間に辺りを暗くしてしまう。
――…見えていたはずのものを、見えなくしてしまう。
――…だから、気を許しちゃいけない。出ていけ、と怒鳴って追い出してしまわなきゃいけない。

(おばあちゃん…)

そう言う祖母の、少ししゃがれた声まで思い出す。
強くて厳しくてけれど誰よりも惜しみない愛情を注いでくれた祖母。
今でも思い出すたび、少し涙ぐんでしまう。

(そういえば、もうすぐおばあちゃんの月命日だ。)

叔父の仕事の都合がつけば、今月は確か一緒に墓参りに行ける予定だ。
今はまだ学生で叔父に頼っている身分だから言い出せていないけれど、本当は毎月会いに行きたいと思っている。
日々会ったことを何もかも、お墓の前で報告出来たらいいなと。

(大人に、なったら)

まだ先は長いけれど、いつかは叔父や叔母の元から独立しなくてはいけないから。
そうなれたら毎月必ず顔を出そう。
そう、茅代は決めている。

――…よちゃん、ひよちゃんってば。

「ひよちゃ〜ん?」
「…」
「ひーよーちゃん、おーい、戻ってこぉい!」

バシバシと肩を叩かれてはっとする。

あ…、そうだ。
私、いま、教室にいたんだった。

「んもう、どこにトリップしちゃってたのよー」
「…ごめんなさい」
「もーいいよ。とにかく、ひよちゃんから何も行動は起こしてないわけね?」
「…うん」

――ゆるせないっ。

「シキシマ、絶対ゆるせないっ」
「…え」
「こんな純真可憐なひよちゃんに何て意地悪いことするのよ」

ジュンシン、カレン…ですか?
それに…

「意地悪…なのかな?」
「それ以外に何があるってゆーの!ひよちゃんの幸せを妨害する奴はみーんな意地悪なのっ」

それはちょっと、極端なイケンでは…?
それに、敷島さんは、本当にあんなことしたかったのかな。

お正月に初めて会ったときの、ミニスカートから伸びた寒そうな足。
渡瀬くんに一生懸命くっついてにこにこしていた姿。

(そんなことを、するような人には、見えなかったんだけどなぁ…)

何でかは分からないけど。
敷島さんを嫌いになれない、私がいる。

「きっと、なにか、理由があると思うの」

(確信はないけど。きっと、そう)

言いながら顔を上げると、そこには、沙里ちゃんはいなかった。

「ひよちゃん?」
「…あれ、沙里ちゃんは?」
「聞いてなかったの?シキシマんとこ行くって飛び出してったよ?」

…え。
えっ、えーっ。

「千晶があわてて追いかけてったけど」
「もしかして全然聞こえてなかった、とか?」

全然。
まったく。聞こえてませんでした…。

「ひよちゃんも行ったほうがよくない?」

行、ったほうが、いい、よね?
そう思って見回せば、茅代を取り囲む顔全てに『行った方がいい、なるべく早く』と書いてある。

「…行って、くる」

えぇっと…敷島さんは、何組だったっけ…っ。

廊下に飛び出すと、D組の前に軽く人だかりがあり、勢いのある声が響いている。

――…っと!言いがかりやめてよっ
――…っ、ごめんごめん、この子勘違いして…っ
――…かんちがいじゃないっ…ひよちゃんはそんな子じゃないっ!

慌ててそこに駆け寄り、好奇心に包まれた野次馬の間をすり抜ける。

「ひよちゃんはねぇっ、怖かったんだからっ、そゆこともうやめなさいよねっ」
「沙里っ、もうやめなってばっ」

小さな体に怒りをたくさん詰め込んで詰め寄ろうとする沙里ちゃんを千晶ちゃんが必死になって抑えている。

「いい加減にしてよ、私そんなことしてないし」

憮然とした態度の敷島さんが、私を見つけて睨みつける。

「大体この子が変なのよ。私が呼び出したって?いつ呼び出したってのよ、私知らないし。嘘ばっかり」
「どっちが嘘つきなのよぉっ」

とっさに。
咄嗟に口から出た言葉は、私自身、信じられないもの、だった。

「…ごめん、なさい」

時が、ねじ曲がったみたいに。
ぐにゃっ、って空気が歪んだ。

嘘をつく、って…こういうことなんだ。
千晶ちゃんも、沙里ちゃんも、敷島さんも、ぐにゃっと歪んだ空気の向こうにしか、見えない。

「私が、勘違いした、から…こんな騒ぎに…。敷島さん、ごめんなさい」

遠く、沙里ちゃんの声だけが響いた。

「嘘だ、ひよちゃんっ」
「…さりっ」
「ひよちゃんそんな子じゃないもん!なんで嘘つくのっ?」

ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…

自分の声が。まるで壊れた機械みたいに、ごめんなさいを繰り返してる。
もう誰に謝っているのか分からない。

「ほら、そっちが悪いんじゃん、いい加減にしてよマジ迷惑」

敷島さんのそんな言葉だけが、やけに切なく聞こえた。