――まずい。
と思った瞬間に目が合った。
いや実際、何もまずいことなんかないんだ。
亜矢ちゃんは元々スキンシップ過多なとこがあって。
ただ単に人懐っこいだけなんだけど、新入部員なんかで勘違いする奴もたまにいるくらいだからやっぱちょっとやりすぎなとこもあるんだろう。
けれど俺からすれば先輩の妹で、おいそれと恋愛対象には入れられないし入れたことがない。
先輩には悪いが、何を言われるかたまったもんじゃないし。
でも、この状況を見て何も感じない奴なんて男でも女でもそうはいないハズ。
と思ってたんだけど…
横にいるのは、いつも通りの茅代。
門限が迫ってて多少落ち着かなくなってるだけで、あとは普通に思えた。
(やっぱ…ちょっとそういうとこも、ゆったりしてんのかもな)
大体、他人を憎んだり妬んだりなんて感情そのものが、茅代には似合わない。
「…先輩、あの、もう」
「え?」
「ここで、いいです。もう、遅いですし」
そう言って彼女が立ち止った場所は前にもここで、と言われたことのある十字路。
確かに家の近くは近くだけれど、静かな住宅街の道は明るい街灯の光だけではちょっと頼りない。
「いやっ、遅いから送ってかないと…」
「いいんです。メール、しましたし。先輩の大事な時間、…勿体ないです」
やわく微笑まれる。
元気がないように感じられるのは、薄暗いからだろうか。
儚くて、白い頬がいっそう白く見えて。
そっと、頭を撫でた。
「分かった。…じゃ、また明日」
「で、それ以来会えてない、と」
「んな大げさなもんじゃねぇよ。たかだか3日ほどのことだし」
――…忙しいの、邪魔したくないです。
そう言われてしまっては次が出せない。
実際、忙しいし。
受験のこと。
部活のこと。
元々足りてない脳みそはフル回転しすぎてすり減りそうだ。
「よくほっとけるよな〜」
別にほっといてるわけじゃねぇし。
「俺だったらほっとけないね。1年と3年だよ?時間ないんだよ?」
「毎日ベッタリしてられるのはお前がもう推薦決まってるからだろうが」
「青木君、俺がそういうことをぬかるわけがないだろうがよ」
キザに微笑む柔道部出身、ニキビ面。
そんな出身や見た目とは違って激しくフェミニストなこの男は、本気で恋愛中心に考えて大学を決めた。
彼女と離れたくないから、と。
そんな人生もありなのか?
大体別れちまったらどーするんだ?
等々かけたい言葉はあるけれど、いかんせん付き合ってる相手が茅代の大事な友人なもんで何も言えず。
「悪かったな、ぬかってて」
と、これくらいが関の山。
「茅代はそんなことでいちいち言ってきたりしねぇよ」
「そうゆうことじゃないだろうが」
金山が言いたいことは分かる。
茅代を可愛いと思ってる男(しかもそこそこイイ男)が今の時点でかなり近距離にいるし、これから先それが数を増やさないとも限らない。
不安なのは当たり前だ。
(だけどなぁ…)
そこまでして、自分の行き先を変えてまで、とはやっぱり思えない。
大体、茅代を信じてるし。
「いんだよ。別に」
「…なんか、さぁ」
金田の背後から、隣の席の女子が突然会話に参加してきた。
俺らの会話を聞くとはなしに聞いていたようだ。
「お前寝てたんじゃねぇのかよ」
「んー、寝てたんだけど。何か気になっちゃって。ねぇ、青木ってさ」
机に上半身をあずけ頭だけ持ち上げるようにこっちを見上げてくるから
休み時間の間に塗り直されたらしいグロスが、喋るたびにつやつやと光って見える。
「まだ、してないよね?」
「なにを?」
「何トボけてんのよ。Hに決まってんでしょ」
「…」
こんな感じのこと、毎度奈保にも言われてるしすぐ分かるよ。
んなこと聞いてきてほしくねぇからトボけてるのに、女って容赦ないよな。
「してねぇよ。それが何だよ?」
「そゆのって不安じゃないの?」
心ん中で少しだけ、本当に少しだけぎくっとする。
自分自身でも気が付いていないようなちっこいマイナス感情をつまみだしてくる、この感じ。
女の子のこの感じが、実はすっげぇ苦手だ。
否が応でも素直になっちまうし、気を抜くと丸裸にされちまいそうで。
「…別に」
そりゃあ、"男"だし。溜まってる部分はある。
だけど茅代にそこまで望んで果たしていいのかっていう気持ちも、ある。
…フクザツなんだ、こっちはいろいろ。
そういうデリケートな部分にずかずか来んなよ。
「大事にしてるんだよ、辰はさ」
金田が珍しくフォローを入れてきた。
「まぁ、そうだけどさぁ。手ぇ出されないのって。私だったら怖いかも。
だってさ、女として見られてないんじゃないかな〜?とか魅力ないのかな?とか思っちゃうよ」
「そりゃーお前だからだろうが」と俺が言う前に金田が言った。
相手もたしかにー、と笑う。
「…茅代は。そーゆーのじゃねぇもん」
まっさら。透明。
誰かと付き合ったことがあったら思うかもしんねぇけど。
茅代は、そんなんじゃ、ない。
「でも女だったら、そこ考えない子いないと思うけどなぁ」
「ふーん」
机に預けていた身体を起こし「それにさぁ…」と言いかけたところでベルが鳴り、そこで会話は終わった。