「気がついた?」
俺は沈黙が怖くてそう声をかけた。
美味しそうに見えた唇から、息まじりのか細い声が漏れる。
「・・・・はい」
「何があったか憶えてる?」
「え〜と・・・、玄関で・・・転んだ?」
軽く小首をかしげる仕草が、小動物みたいだ。
「ん〜〜〜、ビミョーに正解。 俺が急いでて気がつかなくて後ろからぶつかっちゃったんだ。それで門に頭ぶつけたまま気絶」
少し間が空いてから、彼女は「はぁ・・・」と返事ともため息とも取れないような声を出してオデコをさすっていた。
「俺、青木辰則。ここの3年」
知らない男がいきなり横にいるのも不安だろうと思って名乗ると、またもや少し間が空く。
「あ・・・・はい。私は、樋口茅代、1年・・・です」
「ヒグチ、さん。先生が病院に行ったほうがいいって言って、今近くの総合病院に予約に行ってる。俺と一緒に行こうか?」
なんか、ちょっと会話のテンポが遅い感じがする。ぶつけた後遺症か?
だとしたらどうしよう・・・。
「あ・・・・はい」
「って、付き添いは俺じゃなくてもいいんだけど、なんかあったらと思うと、心配で。頭だし」
(それに・・・ちょっと仲良くなりたいかな〜、なんて)
よく分かんないけど、この子なんかすごい気になる。って昨日失恋しておいて早すぎかな・・・
そんな自分が情けないような面白いような、不思議な気分のままで、辰則はヒグチさんに微笑みかけた。
おとつい"その笑顔にだまされた!"とモトカノから散々罵倒された微笑み。
俺の笑みにつられたのか彼女の頬も緩み、ふわわ・・・と微笑が広がった。
うわ・・・・うわわわわ・・・・
不自然だって分かってても、その微笑からもう目をそらせなかった。
それは。
春の気持ちのいい日、カーテンの切れ間から光が差し込んできたみたいな。
初めて笑った赤ちゃんみたいな。
(めちゃくちゃ・・・)
めちゃくちゃ・・・
これ以上言葉が出ない。可愛いとか、きれいだとかじゃねぇんだ。
・・・・真っ白なんだ、この子。
だからこんな子供みたいにまじりっけなしの笑顔ができるんだ。
バカみたいに、俺はそれに見惚れてた。
俺は、どれくらいヒグチさんを見つめていたのだろう。
その無垢なスマイルが少しづつピクピク引きつってきているのに気付いて、あわてて「あ・・・ごめん」って目を脇にそらした。
彼女はその笑顔を引っ込めて、両頬をぐにぐにマッサージしてる。
相当・・・ぶっさいくになってるのにも気がつかず。ひよこの口になったり、アヒルの口になったり・・・。
(あ〜ぁ、そんなにうにうにしてたら、さっきの笑顔が台無しなのに)
今度は半分呆れてそれを見つめていると、保健の先生が帰ってきて二人で病院へ行くことになった。
トイレに行かせてください、と彼女が言うので玄関で待っていると、パタパタパタ、と小走りに俺のところに駆け寄ってくる。
「ヒグチさん、走らないほうがいいよ。頭打ってるんだからなるべく静かにしてたほうがいいかも」
「あ・・・はい。すみません」
そう言うと彼女は、俺を不思議そうに見つめてきた。
くりん、と黒目がちの瞳が俺を映していて、俺はまたちょっと焦って目をそらした。
「受付番号260番のかた〜?」
「あ・・・いってきます」
「うん」
準備されてたタクシーに乗って二人で行ったのは、学校から一番近い総合病院。
最近建て直しされたところなので廊下は淡いクリーム色とピンク、イスはライトグリーンでピカピカのふかふかだ。
1年1組、樋口茅代。
何を話していいのか分からないので、とりあえずお互いの自己紹介でも・・・と思い何気なく聞いた彼女の情報。
去年までは県外にいたらしい。
中3の初めにもうこっちに来ることが決まっていたので今の高校を受験しました、と少し固いままの表情で話した。
何度も同じ説明してるんだろうな。言い方が型にはまってる感じだった。
「んじゃ、まだこっち来て半年?」
「はい」
「・・・慣れた?」
「・・・はい」
これも型にはまってる感じ。
しかもさっきから緊張してるのかなんなのか、この子、カッチコチなんだもんよ・・・。
話しにくいったらない。
「俺もガキの頃引っ越ししてこっちに来たんだ」
「はぁ」
「兄貴の中学受験で、家族総出で応援あーんど、お引っ越し。俺はまだ小1だったけどね」
「・・・」
「元々住んでたところはすっごい田舎で、シカとかサルが普通にうようよいるようなところだったから、
こんな都会に住めてラッキー!って思ってたな。今はなんとも思わなくなったけど」
「あぁ・・・すこし、わかります」
「わかる?」
「はい」
やっと同意を得られたので、俺はホッとして彼女の顔を見つめることができた。
彼女は緊張しながらも、可愛い声で話しはじめる。
「私が住んでたところも、こんなにぎやかなところじゃなかったので。本屋さんとか近くなって、うれしいです」
「コンビニ、近所にあった?」
「・・・ないです」
「だよね〜、俺が住んでたところも、20〜30分くらい歩かないとなかった。
それが一番うれしかった、って今考えると恥ずかしいほど田舎モノの発想だけど」
俺がそう言って笑うと、彼女も首をかしげて軽く微笑んだ。・・・やっと少し人間らしい表情になる。
前髪がはら、と右側に流れた。
背中の半分くらいまである長い髪。こうして改めてみるとそこまで茶色くもない。
さっきは光の加減でそう見えただけみたいだ。
さっきまで閉じられてた瞳は、開くとアーモンド形で黒目の分量がちょっと多い。
う〜〜〜ん・・・・ちょっと、かわいいかも・・・。
打てば響く、っていうより打ったのが忘れたころに返って来る、ってこりん星人的な反応がややもどかしいけど、
それもまた癒し系といえば、納得がいく。
診察室に消えていく紺のブレザーに指定のままの膝丈のチェックのプリーツスカートの後姿を見送りながら、
俺はすでにこの出会いをどうやって成就させるかってことばっかり考えてた。
心の中には、元カノのことなんてもう1ミクロンも残ってなかった。
・・・・けどやっぱそれってさ、節操なさすぎだよな〜〜〜〜。
俺が頭をがりがり!とかなりオーバーアクションでかきあげたので
二つ隣に座っていたおばさんが驚いて見つめてきたけど、それに愛想を振る余裕はあんましなかった。
俺ん中で、目の前のチャンスに飛びつくべきか否か、二つの選択肢がぐるぐると軽く煙を立てる勢いで回っていた。