・・・side 茅代
その日の授業は、ほとんど頭に入ってこなかった。
休み時間のみんなとの会話も、耳に入ってこなかった。
最初のうちは何度か話しかけられていたけれど、いつの間にか誰も話しかけてこなくなった。
知らず知らず、重たすぎる心が苦しすぎて、ため息をつく。
・・・・・怒られ、ちゃった。
謝ろうと思ったのにそれもできなかった。
これじゃ、前みたいにお話しすることももうできないかも。
1から順番に何度もぐるぐる考えて、考えて。けど考えても考えても、結局たどり着くのはその不安。
そうなってしまうことが一番、怖くて寂しくて。涙が出そうになるのを必死でこらえていた。
せっかく、ずっと好きでいよう、頑張ろうって思ってたのに・・・。
困ったときに多少"とぼけたフリ"をしてごまかすのは、茅代のくせだった。
常にスローテンポで動く茅代を足らない子だと勘違いする人は、とても多い。
だから、難しい話や、意見を求められても答えないほうがいいと思ったときは、
そんな風に見られる自分を利用したほうが都合が良いときもあって。
叔父さんの親類の人たちは特に難しい人たちで、叔父さんの立場を考えるとあまりヘタなことが言えず
茅代は分かっていても分からないふりをすることがすっかり板についていたのだ。
・・・・・けど、先輩は、それが嫌い、だったんだ。
ため息も出ないほど落ち込んで、ぼんやり・・・と窓の外や数式が書かれた黒板を眺めていたら、
いつの間にかお昼休みも終わって、午後の授業も終わってた。
ざわざわと周囲が帰りの支度でざわめいている。
ぼんやりとしながらも、身体は勝手にいつもの動きをなぞって、机の横にかけられたカバンを手にとっていた。
とろとろ、とファスナーを開けて中身を確認すると、オレンジのギンガムチェックに包まれたお弁当が見える。
・・・・・わたし、お弁当ちゃんと食べたのかな・・・・?
それすら記憶にない。
お腹が空いているのかどうなのかも、よく分からない。
持ち上げればその重さで分かるかな、と包みをカバンから出そうとしたところで、
「・・よちゃん、ひよちゃん!」
千晶ちゃんが隣で私を呼んでいるのに、ようやく気がついた。
「・・・なぁに?千晶ちゃん」
「もう、さっきから呼んでるのに!ほら、青木先輩が来てるよ?」
・・・え。
青木先輩、が・・・・?
半ば呆れ顔で千晶ちゃんが指したほうを見ると、
教室の入り口に大きな人が立っていて、その人に向かって沙里ちゃんが何かを言っている。
周囲の子もその沙里ちゃんの大きな声に驚いて、事の顛末を見守っている様子で。
「だ・め・で・すっ!!!ひよちゃんは、渡しませんっっ!!!」
「いやだから、渡すとかそーゆーことじゃなくて、話を・・・」
「認めませんっ!!」
「だーかーらー、話がしたいんだって言ってんだろ?こっちの話聞いてから文句言えよ!」
「話ってなんですか?私が代わりに聞きますっ!!!」
大きな青木先輩にたいして一歩もひるまず仁王立ちの沙里ちゃん。
「これ以上大事なひよちゃん傷つけられたらたまんないです!先輩とはもう会ってほしくないですっ」
青木先輩は参ったなぁ、というように眉間にしわを寄せ、こちらを見つめてきた。
どきん、と心臓が鳴った。
「ひよちゃん」
千晶ちゃんが横でささやく。
「先輩と、話してきたら?沙里はどうにかしとくし」
「・・・・・・・うん」
頷くと、千晶ちゃんはにっこり笑って私の肩をぽん、と押してくれた。
・・・side 辰則
人が来ない場所を、と選んだのは美術室の隣の、倉庫の前。
教室がある西校舎とは反対側の東校舎の、2階の一番奥にある部屋で、放課後ならめったなことでは誰も来ない。
人によっては告白をする場所にもなるようなところだ。
俺は体調不良を理由に体育の授業と放課後の補修をパスした。
奈保は元々成績がいいので補修なんて受けなくてもいいから、
「授業が終わったらそこで待ってて」
そう、メールを打った。
今、どこか暗い顔をした奈保が目の前にいる。
きゅんとつり上がった眉に、相変わらず丁寧にカールされた睫毛。強い印象を与える瞳。
けどその瞳は今朝からずっと、曇ったままだ。
「・・・・」
何も言わずにただ見つめられると、どこから話のきっかけを作っていいのか、分からなくなる。
言葉に詰まってただそれでも、目はそらさないほうがいい気がして、しばらく二人で見つめ合っていた。
そうしてるうちに奈保のほうが先に視線をそらして、かすかにため息をついた。
「・・・も、ダメなんでしょ?」
震えるような声は、自分からそれを言い出す悔しさを帯びていた。
「・・・うん」
俺の声もちょっとだけ震えてた。
「ごめん、奈保」
「・・・・・・」
「好きだった。けど、今はそれがよく分からなくなった。だから・・・もう付き合えない」
なんとか気持ちを言葉にしようとしても、たいした言葉は何一つ出てきやしない。
「あの子のこと、好きになったんだ?」
「・・え?」
言いたいことの10分の1も伝えられてない、からっぽの頭。
マヌケな返事をしたそんな俺を、奈保はちらりと見やってから言う。
「1年の子。ふわ〜っとした子だったって、ユキとトモが言ってた」
・・・ユキとトモ。
今朝、樋口さんに直談判しようとしていた、川上と東のことだ。
「よく分かんないけど、私に謝ってたって・・・。とろすぎて、調子狂ったって」
俺は、ただ黙って彼女を見つめていた。
笑ってるのか泣いてるのか、判断がつかない。・・いや、きっと両方なんだろうな。
「そういう子なんだ。テンポ遅いっつーか」
「好きに、なったの?」
「・・・分からない」
モトカノに対してどう言っていいか迷うような質問だったのに、
思いのほかまっすぐに聞かれて、すとん、と正直な答えが口からこぼれた。
気にならないといえば、ウソになる。
けれどそれが好きって気持ちかどうかといわれると・・・
「そんな・・・真剣に悩むようなこと?」
「へ?」
正直に、真面目に返事しようと考え込む俺を見て、奈保が初めて、ぷっ、と笑った。
場の空気が緩む。
肩の力が抜けたらしい奈保が、クラスメイトだった頃のざっくばらんな口調で聞いてくる。
「相手を好きかどうかなんて、そんなに考えることなの?すぐ分かるでしょ?」
「・・・そりゃまぁ、そうなんだけど」
でも、マジでよく分からないんだ。
確かに保健の先生の話を聞いてから、どこかこう・・・守ってやりたい、力になりたい、そういう気持ちが強くなったけど。
それを人に話せばきっと『好きになった』ってことになるのだろうけれど。
なんか・・・すごい、違和感なんだ。
今まで俺が、恋だと感じていた気持ちとはまるで違ってて。
だから、どう言っていいのかまったく分からない。
「悩むってことは・・・」
「ん?」
「好きかって人に聞かれて、それだけ真剣に悩むのなら、それは好きなんじゃないの」
「・・・そう、なのかな」
「そうなのかなって・・・自分の気持ちなのに、他人事みたいだね」
「いや、自分でも分からないんだ。・・・まぁ、大事にしてあげたくは、なってるけど」
最後のセリフはほとんど独り言に近くて、ぼそぼそと呟いてた。
それを聞いた奈保が呆れたように言う。
「だからそれ、好きってことでしょ?」
(・・・いやだから、俺もよくそれが、分かんねぇんだっつーの)
俺は悩みすぎてふてくされたみたいな顔になったらしい。
奈保はちょっと怒ったように眉をひそめ、
「なによその顔。とにかくそれ、好きってことなんだから認めなさいよ」
そう言った。
まるで姉貴がいたらこんな感じだったろう、というような言い方で。
「なんか・・・ばかばかしくなってきた。拍子抜けしちゃったなぁ。なんか普通に友達に戻れそうな気がするし、また明日ね」
来た時とはまるで違う、さばさばした足取りで去っていく後姿を見つめながら。
俺は奈保のセリフを自分の中で何度も反芻しては、頭をかいた。