・・・side 辰則
泣かせる気は、なかったんだけど。
樋口さんの腕を引きながら反省モードに突入してる俺。
ただ、妙なごまかしや嘘をつかれることがイヤだってことを伝えたかっただけで、
ありのまま、自分の気持ちをそのままぶつけてくれればいいのに、と願っただけで。
(けど、涙ってふつー、もうちょっと前置きがあってから出るもんじゃねぇのかな)
いきなり、だもんな。
前触れも、表情の変化も何もない。
ほとんど無表情に近いまんま、ぽろん、と瞳からこぼれ落ちる涙はまるで、人形が泣いているようだった。
感情が見えなかった。
そして困った挙句「とりあえず保健室行こ」しか思いつかなかった俺の脳みそって・・・キャパ少ねっ。
そんなことを考えながらあっという間にたどり着いた保健室の扉の前。
ようやく彼女を見つめなおす心の余裕も出来た。
先ほどの涙はもう乾いたようだったけど、目が少し赤らんでいる。
おそるおそるといった感じで俺を見上げてくる。・・・そんなにビビらなくても。俺はまたどっと反省モードに逆戻り。
「少し休んでいったら?」
「・・・・はい」
それでも従順に返事をしてくれる樋口さんを案内しようと扉に手をかけたら、
「朝からなぁに〜?」と部屋の主が陽気に後ろから近付いてきた。朝から元気だな、この人・・・。
「・・・せんせ、あの、少しやすませてください」
保健室の先生がしっかり自分の前に立ったのを確認してから、小さな声で彼女が訴える。
先生は驚いたように「あら、また?」と言ったあと、非難めいた視線を俺に向けた。
どう見たって彼女の様子は『俺が泣かせた後』にしか見えないだろうから仕方ないけれど、
彼女の涙の意味が分からなかっただけに、俺としては少しだけそれが不服だった。
「でも樋口さん、もう気持ちは落ち着いてるんじゃないの?」
「・・・あ、えと、・・・はい、そ、かもしれない、です・・・」
「だったら用があるのはあなたじゃなくて〜、自分でしょ?ねぇ、青木くん?」
「へっ???」
なんで俺っ?!
完全にビビって引いている俺の頭をぺちん!とはたきながら、先生はきっぱり言い切った。
「女泣かすなんてサイテー。説教モノなので、樋口さんは教室に戻って、青木くんはここで私とお話♪」
・・・・・・・やっぱ、ここには二度と来るべきじゃなかったかも。
・・・
「で、何か質問は?」
「・・・いや、とくにないっす」
あと5分ほどでHRの始まる時間。
なんで俺ここにいるんでしょうか?
って聞いたら余計に居させられそうだから、言わないでおいた。
「なんで俺がここにいなきゃいけねーのー?って顔ですけど」
にやにやした顔が無性に腹だたしい。
分かってるんだったらとっとと解放してくれっ。
「・・・樋口さんに説教されるなら、まだ納得できますけど」
「お。珍しい〜、言い返してくる気になったのね」
「茶化さないでください。そっちこそ、なんで俺を引き止めるんすか」
泣かせたことならもう充分反省してるし、あとで彼女に涙のわけを聞いて謝るつもりだし。
この先生にどうこう言われる筋合いなんかない。
そんなことはもう、さっきから向かい合わせで椅子に座り訳知り顔でいるこの人だって分かってるはずだ。
分かっててもなお俺を解放しないのは、なにか訳があるんじゃないのか?
「あのさー、まぁ、余計なことかもしんないんだけどね?」
先生はそんな俺の苛立ちをすかすように肩をすくめた。
「樋口さんが養女だってことは知ってるわね?お父さんもお母さんもいなくて、叔父さんとこで暮らしてるってこと」
「・・・はい」
「彼女ね、ここを受験してきたときは違う名前だったのよ」
「それも、知ってます。"ちよこ"だったんでしょ?」
俺が揚げ足を取るように言い返すと、そこで初めてマスカラがばっちり塗られた目を少し見開き先生は驚いた。
「それ、本人に聞いたの?」
「はい」
少しだけ気分がすっとした。
先生は、それまでの若干見下し気味に感じられた視線を控え、初めて俺をまっすぐに見つめてきた。
「・・・そっかぁ。じゃあ、ちょっとだけ話早いな。彼女ね、受験票の名前は『本多茅代子』さんだったのよ」
「え。苗字も違ってたんすか・・・」
「うん。彼女の叔父さんって養子さんに入られてて、彼女と苗字が違ってたのよね。
学校側は、苗字が変わるってことは事前に聞いてたの。まぁ、それはよくあることだし大した問題でもなかった。
けど直前も直前、入学式の1週間前になって突然『名前も変えました』って言われてビックリ」
「はぁ・・・」
「手続きの問題もあるからってことで一度学校に来ていただいて、担任になることが決まってた山形君が事情を聞いたの」
先生はキイ、と背もたれに背中を預けなおした。
「ま、叔父さんは『まったくの新しい環境からやり直したいと本人が言うもので』とか言ってたらしいんだけど。
本当は、親類の方々から・・・いちゃもん、つけられたみたいよ?」
「いちゃもんっすか・・・」
「養子さんだと立場も弱いし、大方『似た名前でややこしい』とかっていうので押し切られちゃったんじゃない?」
どこかで聞いたことある話だ・・・。
親類ってどこも似たような文句しか言わないもんなんだろうか、と思う。
「あと、彼女のお父さんね、亡くなられてはいないみたいよ」
「へ?」
「たま〜〜〜に、送り主不明の荷物が届くんだって。文庫本とか女の子が使うようなハンカチとか?そんな簡単なものらしいけどね」
「・・・」
「山形君がね、樋口さん本人と初めて会ったとき、相談に乗りたくていろいろと話をしたらしいの。
ほら、彼はなかなかの熱血教師じゃない?」
「あ、はい」
そうだった。
山形は元はラグビー選手で、ラグビー部の副顧問もやっている今時珍しいくらいまっすぐな人だ。
熱血、というか真面目さゆえに普段はまったく空気が読めてないことが多くて生徒からたびたび疎まれてるけど、
当人に悪気がなくて人がいいので、特に嫌われたりはしていない。
「まぁ、そこからの又聞きで判断してるだけだから当たってるかどうかは判らないんだけど・・・。
彼女は、当然だけど名前は変えたくなかっただろうと思うのね」
「はい」
「けどそれは、今もお父さんがどこかで生きてる、って信じてるからじゃないかなって。私はそう思うの」
―――おとうさんと、おかあさんが、つけてくれた名前。
あの時の彼女の声が、頭の中でこだました。
「なぁんにも自分のことは話さない子だしちょっとすっとぼけた感じだけど、すごーく辛い人生を歩んできてるのよね、きっと」
「・・・そー、ですね」
亡くなってしまった母親と、どこかで生きているかもしれない父親がくれた、たったひとつの大事な名前。
それすらも、彼女は奪われてしまったんだ・・・。
「・・・実は私も片親でさ。なんか、すごく同情しちゃってんだよねぇ・・・」
しみじみと語る先生の、そのあとの言葉はほとんど耳に入ってこなかった。
そんな大事なものを俺に教えてくれた彼女の気持ちが、考えれば考えるほど、やっぱり胸が痛い。
(なんで、そんなに、俺なんかがいーの・・・?)
純粋にただそんな素朴な疑問だけが浮かんだ。