「えぇぇぇぇっ???!!!」
一瞬、頭の痛みがすっかりと吹き飛んだ。
目の前には傷ついた表情を浮かべた奈保が目尻を涙で潤ませてる。
「・・・そんなに驚かなくったっていいでしょ」
「ま、マジで?」
「・・・やっぱり、経験あるって思ってたんだ」
「いやっそりゃっ・・・だって奈保、俺の前にも付き合ってるヤツいたし、長かったじゃんっ」
確か俺の前に付き合ってた男は半年くらい続いてたはずだし、その前だってそこそこ長かったような気がする。
中学のときは知らないけど高校に入ってからはずっといいなと思って見てたから、そこは間違ってないと思う。
「・・・付き合っては、いたけど。でも、なんか怖くて・・・誰とも、したことなかったの」
「まじっすか・・・」
「でもいつの間にか経験済みってことになってて・・・。
周りの子もどんどん・・・処女じゃなくなってくし、なんか、私一人で遅れてるみたいで余計言いづらくて・・・」
「・・・・・」
「だから、ユキとか皆知らないの。私が、そういうコトしたことないってことも、ケンカの原因も・・・」
「・・・はぁ」
「だからそれは、・・・ごめんなさい・・・」
「ごめんなさいって・・・」
それが大元の元凶じゃねぇのか?
だんだん冷静になることで舞い戻ってきた頭痛と悪寒でガクガクになってる脳みそをフル回転させながら、俺は呟いた。
「なぁ・・・なんでそんとき、言ってくんなかったの?」
「・・・・・」
「俺だってそんな、経験あるわけじゃねぇけどさ。言ってくれればそんな急にどうこうしようなんて思わなかったよ?」
自信はあんまりないけど・・・。
「・・・ガマン、できるかなって思ったの。」
「なにを?」
「そのまま黙っててもいけるかなって、思ってたんだけど・・・やっぱり、怖くて」
男と違って、女の"初めて"がキツイってことくらいは俺も知ってる。
自分が感じたことがあるわけじゃないけど、その辛さがハンパないものだってことは分かってた。
だから、いくら個人差があるとはいえ奈保の『黙ってたらいけるかも』っていうのが
あまりに日和見すぎる気がして、俺は少しイラっときた。
「なんで、正直に話してくんなかったわけ?」
「・・・・・・・処女って思ってなかったくせに」
俺の苛立ちに対抗するように、恨みがましそうな瞳がこっちを射抜いた。
「経験あるって思ってたんでしょ?こんなの、慣れてるって思ってたんでしょ?」
「・・・・・」
「すぐにできるって思ってたくせに、今さらそんなの言わないでよ」
「別にすぐできるって思ったから誘ったんじゃねぇよ!好きだからしたいって思ったんじゃねぇか!!
イヤだから我慢しろって言われても目の前にいたら・・・やっちまいそうだったから部屋に呼ぶなっつったんじゃねぇか!!!」
「・・・・・」
叫ぶと頭がガンガンする・・・
座ってるのもやっと、上半身を起こしているのもつらいくらい・・・これはかなり俺やべぇかも。
それでも、何も答えようとしない奈保に俺は自分の気持ちをそのままたたみかける。
「ヤリてぇって思ってなにが悪いんだよ?」
「・・・・・」
「・・・ずっと、好きだったって言っただろ?好きな女が目の前にいて、そうしたいって思わない男はいねぇだろ!」
「じゃあ何ですぐに、次の子にいこうとしたの?」
「・・・・・」
「みんなに言われたよ。追っかけてこないなんて結局そこまでの気持ちしかなかったんだって・・・どうして?」
「謝ろうとしたら無視したのはそっちだろ・・・」
「それでもっ!」
涙の粒がこぼれ落ちて、声を荒げた奈保の頬を伝ってブルーのカットソーに染みを作った。
「・・・・追いかけてきてほしかったよ」
「・・・・・」
「待ってたんだよ?」
辺りはすっかり暗くなって、気温も落ちてきている。
そんな中で大声を出して話している俺らが物珍しいのか、
首輪のないボロボロの毛並みをした犬がこちらをジロリと見上げて通り過ぎていった。
・・・それはかえって人が通り過ぎるよりも気恥ずかしい感じだった。
「・・・・・こんな風に、言うつもりじゃなかったのに。ごめん」
「いや、俺もごめん」
カットソーの袖口で涙をそっと拭ってから、奈保が思い切ったように俺を見つめた。
「もっかい、やり直せない?」
「・・・」
「勝手なこと言ってるの、分かってる。けど、このままはやっぱりイヤなの。だから・・・」
・・・寒気はするわ頭痛は激痛に変わるわで、とてもじゃないけどまともに考えたりできなくて。
いつの間にか、ほぼ直感的に俺は奈保に答えていた。
「・・・ごめん。ちょい、考えさせて」
・・・
俺はそれから3日間、風邪と高熱で学校を休んだ。
3日間のうち金山や他のダチから安否を気遣う(と半分おちょくってくる)メールが3通ほど、
奈保からは4、5通くらい来ていた。
頭痛が治まったころダチからのメールにはそれなりに返信したけど、奈保からのメールには返信できないでいた。
メールの内容はそれとないものばかりで、でも「待たれている」ということがヒシヒシと伝わってきて。
・・・正直、逃げてた。
『もっかい、やり直せない?』
それは、ちょっと前の自分なら喜んで飛びついていたはずの提案。
なのに。考えさせて、とほぼ何も考えずにいつの間にか口にしてた。
よく分からない間に悪者にされてたことも、素直に気持ちを打ち明けてもらえなかったことも、
そんなに大したことをされたわけじゃないと思う反面、後味の悪い・・・嫌な気分が俺の中には残っていた。
話してくれなかったことに傷ついてもいたし、どこかで奈保を許せていない部分がある。
それが上手く言葉にできなくて、メールにも返信ができずにいた。
好き、だったはず。
廊下ですれ違うたびに目で追って、憧れて憧れて、ようやく手に入れた彼女。
なのに、・・・今その想いが俺の中で、どうしてかわからないまま、輝きを失いつつある。
ただ「初めてだから怖い」と正直に言ってもらえなかった、たったそれだけのことで?
いや。それだけじゃないのかもしれないけど、今言えることはそれしかなくて。
手に入った瞬間興味をなくすなんてどこまで薄情なんだ、って。
そう責められてももう何も言えない。
完全に俺が悪い。
しかも、これ以上奈保を傷つけることが怖くて、決定打を先延ばしにしようとさえしてる。
風邪ってことを利用して。
我ながらとんでもないチキンぶりで、情けなくなる。
でも身体のほうはそれとはおかまいなしに日々回復しつつあった。
幸か不幸か・・・熱も下がり体調が落ち着いた次の日は日曜日で、学校は休みだった。
「遅れを取り戻さなきゃっ」
久しぶりに教育ママぶりを発揮しだした母親に促されて、
俺はせっかくの日曜にもかかわらず部屋で勉強させられていた。
確かに今の成績では第一志望の大学はちょっとギリギリで、俺自身も少し焦ってはいる。
それでも病み上がりでプライベートもそれどころじゃないから、とても身が入らない。
(・・・ちょっと、外出るかな)
母親に「参考書、見に行ってくる」と告げて外に出た。
季節は違うけれど"小春日和"という言葉を連想させる秋晴れの穏やかな日差し。
少し遠出をしようとバスに乗り、家の近くより品揃えが豊富な、大きな書店へ向かう。
広い店内は、人が多くて混雑していてもどこか閑静な空気だ。
奥の専門書や参考書が並ぶコーナーには、俺のような学生の姿もチラホラ見える。
何気にカップルの横を通り過ぎて、目当ての参考書コーナーの棚の前で立ち止まったとき。
視線を感じてふっと横を見ると、カップルの女の子のほうが俺のことをじっと見つめていた。
「・・・あ」
樋口さん、だった。
ロングヘアーはそのままで、丸襟でチェック柄のシャツみたいな形をしたワンピースを着ている。
それは彼女の雰囲気にすごく似合ってて制服のときよりも数倍可愛かったから、俺は気まずい以上に少しドキリとした。
彼女はものすごく困り果てた、そしてあまり見たことがない妙な顔をしたまま、それでも挨拶をしてくれた。
「こ、んにちわ・・・」
「うん・・・買い物?」
「・・・はい・・・」
「・・・」
「・・・」
見惚れつつも彼女がますます困り果てた表情に変わるのではっと我に帰ってまた・・・無言の時間が流れる。
「ひよちゃん、行こ」
けどそれを止めたのは俺でも樋口さんでもなく、後ろに立っていた男だった。
俺よりは下級生であろうそいつは、清潔そうなブルーストライプのシャツにジーンズ。
こざっぱりした服装の上にはまぁまぁオトコマエの顔が乗っかっていて、俺を睨みつけるように見つめていた。
(こいつ・・・誰だ?)
「・・・あ、うん。・・・じゃ、しつれい、します・・・」
知らない男に腕を取られて、半ば引きずられるように連れて行かれる樋口さん。
を、俺はただ黙って眺めていた。
あいつが、この間コクってたって男か?
俺は金山が一人で騒いでいたことをぼんやりと思い出し、なぜか急にイラっときた。
「俺のこと。好きだったんじゃねぇのかよ・・・」
別に、待ち合わせしてたわけじゃなく偶然会っただけなのに、なんであんな目で見られなきゃなんねぇの?
大体向こうの方が年下じゃねぇか。
俺のことが気に入らなくても挨拶くらいしてけっての。
ったく。これじゃ気分転換どころかますますやな感じじゃんか。
それに彼女も彼女だ。コクられたからって早速他の男かよ。あんな可愛い格好してさ。何だよそれ・・・。
買おうとしていた参考書を乱暴に棚に戻して、俺は当てもなくその場を離れた。