おれのひよこ・19 【告白】





「いってきます」
「いってらっしゃーい」

玄関を出ると、しとしとと雨が降っている曇った空。振り払うように空色の傘を差して、歩き出す。
玄関を出たところの、電柱の横。
茅代は一瞬だけ・・・、そこに気持ちを残しながら学校へと向かった。



「はよ〜」
「ひよちゃん、おはよ〜っす」

教室に入ると、いつものようにクラスメイトから挨拶をされる。

「・・・おはよう」
「昨日大丈夫だったの?」
「・・・あ、うん。ありがとう」

委員長をしている渡瀬くんは「そ」と短く返事をして友達の話の輪に戻っていった。
茅代は自分の席に鞄を置き、筆箱と1時間目の授業の教科書を机に出す。

「今日1時間目変わったぞ。現国が英語になった」

ついでに英語の宿題の見直しをしなきゃ・・・と思っているときにそんな声が聞こえてふと顔を上げると、
渡瀬くんが自分の背中のほうを指差しながら茅代のほうを見ていた。
指差す方向には黒板があって"1限目現国→英語に変更"と大きく書かれてある。

「あ・・・ほんと、だね。ありがとう」

渡瀬くんは「ん」とまた短い返事をしてふいっと前を向いた。
茅代の2つ前の席。

再び鞄の中を探って英語の教科書を出し、現国の教科書を仕舞う。
昨日半分無意識で仕上げた英語の宿題のレポートを取り出して間違いがないか見直し始めた。
(あ、・・・ここ、スペル2つも抜けてる)
案の定単純なミスをいくつも見つけて直していると、隣の席の千晶ちゃんがやってきた。

「おはよう、早いね」
「・・・おはよ。宿題、見直したくて」
「英語の?あー、1時間目に変わったんだ。私も見直そうかなぁ」

そう言って茅代と同じようにレポートを出してきてチェックを始めた。

「最近、沙里が丸写ししていくから気が抜けないんだよね」
「・・・ふふっ。沙里ちゃん、英語苦手だもんね」
「ねー。間違ってる場所もそのまま写していっちゃうんだもん。あ、ひよちゃん出来た?見せあいっこしよ」

お互いの宿題を見せ合って間違いがないか確認していると、沙里ちゃんが登校してくる。

「おっはよー!・・・わっ、1時間目変わってるっ。わわっ、宿題やってないっっ!!やばっ!!」
「そう言うだろうと思った〜。ほら早く写して」
「ちーあーきーぃ!!ありがと愛してるぅぅ!!」
「いいから早く、先生来ちゃうよ」

持っていた鞄も何もかもをほおり出して宿題を写し始める沙里ちゃんに、
千晶ちゃんと二人、顔を見合わせてなんとなく笑い合う。
それに気付いた沙里ちゃんも、へへ、と照れたように笑う。

昨日、二人連名で届いたメール。

『元気出して。明日学校で待ってるよ〜! Sari&Chiaki』

二人とも何も言わない。何も聞いてこない。
けれど気持ちだけは伝わってくる。
大事にされている、優しく思われている・・・そんな温かい、気持ち。

「お〜いそこの3人。出席取るぞ〜。席に着け〜」
「ぎゃー先生もう来たのぉ???あと2分ちょーだい〜〜!」
「新垣、そう思うなら2分早く登校して来い。始めるぞ〜」

―――いつもと同じ朝、が始まる。



「おーい、今月の当番誰だよー。英語のタッキーが呼んでるぞー」
「・・・あ。わたしだ。行って来るね」
「きっと英語のレポート返しだよ〜。ひよちゃん手伝おうか?タッキーかなり人使い荒いし」
「・・・ううん、たぶん、大丈夫」

昼休みも残り10分くらいのところで、茅代は弁当箱を仕舞い職員室へと急いだ。
1年生の教室は1階なので、教室を出て角を曲がってすぐつきあたりに職員室。
しかも1組の茅代は職員室から最も近いクラス。

(レポート運ぶだけならそこまで苦になる距離じゃないし)

と、思ったのだが・・・。

「おー。今日のレポートの返しと、これ。来週の宿題も持ってってくれや」
「・・・・・・え。こんなに、ですか?」
「んー。重いなら2回に分けてってもいいぞ」

昼休み、ご飯を食べたあとの独特の気だるいリラックスした空気が流れる職員室。

滝山、通称"タッキー"と呼ばれている英語の先生は、
突き出た腹をなでながらも腹ごなしに手伝おうという気持ちは微塵もないらしい。
かったるそうに大量の紙の束が詰まれた机を指差す。

・・・それは、かえって手伝ってもらっても何だか落ち着かないだろうな、と思えるほど横柄な様子。

「・・・いいえ。頑張ります」
「よろしくなー」

ホッチキスで角が止められた人数分の薄っぺらい紙の束は、
重さはないもののレポートと合わせるとくにゃくにゃと曲がってとても持ちにくい。

・・・・・やっぱり、誰かに手伝ってもらったらよかったのかな。

どうにかバランスを保ちながらふらふら歩いて職員室を出ると、急にその紙の束をひょい、と持ち上げられた。
「・・・あ。渡瀬、くん?」
驚いて見上げると、苦笑い気味の委員長がレポート用紙の束を片手で掴んだまま肩をすくめた。

「手伝う」
「・・・ありがとう」
「いや。ついでだし」
「・・・先生に、呼ばれてたの?」
「うん。今度持ち物検査あるから手伝えってさ。んなの風紀委員に言えっての」

なんとなく、二人で並んで歩き出す。
半分になった紙の束をちゃんと持ち直し今度は少しだけしっかりした足取りで歩き出す茅代を見て、
渡瀬くんはまたくすくす笑った。

「ひよちゃんってさ、どんくさいのかしっかりしてんのかわかんねぇよな」
「・・・え?」
「成績いいし、落ち着いてるように見えるんだけど実際そうでもないっていうか、さ。
 これ、んな急いで運ぶもんでもないんだからあとでまた新垣とでも一緒に来りゃいいじゃん?」
「・・・あ。」
「違うか、真面目なんだな。頼まれたらすぐやんなきゃいけない、みたいな感じ?」
「・・・・・そう、かも?」
「はははっ」

声を出してカラカラと笑う渡瀬くんにつられて、えへ、と曖昧な笑みを漏らした茅代に、
渡瀬くんはちょっと真面目な顔つきになった。

・・・・・どうしたんだろう?

「ひよちゃん、さぁ・・・。あの先輩と付き合ってんの?」
「・・・せんぱい・・・」

きっと青木先輩のことだろう。
一緒に登下校する姿は他のクラスメイト達にも見られていて、興味本位で二人の関係を聞かれたことは何度かあった。

「・・・・ううん。つきあって、ないよ」
「そっか。なら・・・ちょい、こっち来て」

人気(ヒトケ)のない階段の降り口。
教室のある廊下からは影になって誰からも見えない場所に誘導される。
渡瀬くんのこちらを見つめる目が少し堅くなった、気がした。

・・・・・・渡瀬くん、緊張、してる?

「あのさ・・・。俺と付き合ってくんない?」

(・・・・・・・・・・・・え。)
その意味を考え尋ねる前に、渡瀬くんが言い直す。

「俺の、彼女になってくれないかな、って。意味は伝わってる?」

・・・・・・・・。
驚きすぎて少し間が空いてからようやくコクリ、と頷くしかできなかった茅代に渡瀬くんはホッとした表情を浮かべた。

「別に、返事今すぐとかじゃなくていいから。俺の気持ち分かってくれただけでかなり進歩だと思うし」
「・・・・・・」
「憶えてないっぽいからいうけど、俺ひよちゃんにコクるの2度目だよ」

・・・・・・・・・・・・・えー、っと?
今度は目を丸くしただけの茅代に、渡瀬くんはクスクス笑って言った。

「入学してすぐくらいに、付き合って、って言ったらあっさり『どこに?』って言われて」
「・・・・・」

・・・そういえば、そんなこともあったかもしれない。けど・・・。

「そんときはあまりの天然ぶりに引いちゃって。
 これは付き合っていけないかも、ってあきらめようと思ってたんだけど・・・
 最近、やっぱひよちゃんのこと好きかなーって改めて思って。」
「・・・・・・えと。その・・・。その時に、わかんなくてごめん、なさい・・・」
「うん、謝ってもらえるとありがたいかな〜。あんときかなりヘコんだし。
 でも今日は分かってくれたみたいだし。いい返事、期待してる。」
「・・・・・」

・・・・・どうしよう。

困り果てた茅代の心境を察して、渡瀬くんは苦笑いする。
その横を訝しげに通り過ぎて階段を登っていく生徒たちの視線から、固まっている茅代を庇うように立って腕を組む。

「ゆっくり考えてくれればいいから。・・・・というより、意識してくれただけでじゅうぶんかな?今のところは」
「・・・・・いしき?」
「入学したてのころってマジで恋愛なんて興味なかったろ?ひよちゃん。だから分かんなかったんだと思う。
 それが今日は『付き合って』って言ったらすぐ分かってくれた。」

渡瀬くんは苦笑いのまま、ほんの少しだけ悔しそうに眉をひそめた。

「あの先輩のおかげで分かるようになったんだろ?そーいうのがさ」
「・・・・・・」

・・・・・せんぱいの、おかげで。

「・・・ちゃんとひよちゃんの中で答え出たら、また聞かせてよ。
 半年はもうさすがに待てないけど、1ヶ月くらいなら待つよ。・・・んじゃ、先行くわ」
「・・・・・うん」

去っていく渡瀬くんの背中を、呆然と眺めた。

・・・・・・・・告白。

を、されちゃいました。
しかも、前にもされてたみたい・・・・。全然、分からなかった。

そのことに驚いたり、申し訳ないという気持ちの中でちくんと痛む心の一部。

―――・・・あの先輩のおかげで分かるようになったんだろ?

・・・・・せんぱいを、好きになったから。
誰かが自分を好きになってくれたことも、分かるようになった・・・?
(それは、そうかも知れない・・・)
こんな気持ちがあるってことを意識したのは、つい昨日から、だけど・・・・。

だけど。
・・・・付き合うって、どんなことをするの?

茅代は、クラスメイトで公認になっているカップルを思い浮かべた。

一緒に帰ったり?
どこかに遊びに行ったり?
手を繋いだり?

・・・・・・。

それを、渡瀬くん、と?
よく、分からないけど・・・・・違う、気がする・・・・・。

一番最初に思い浮かべた渡瀬くんではない人の面影。
目元がくしゃっと細くなる優しい笑顔を振り払って、茅代は小さくため息をついた。

付き合う、だなんて。
そんなの無理だよ。

「むりだよ・・・・・」

誰に対してでもなく茅代は小さく呟いた。

ポケットの中の、水色のメモ用紙。
あのとき先輩に渡すはずだった、携帯の番号とメールアドレス。

もういらないものなのに捨てられずにずっと制服のポケットに入りっぱなし。
そっとポケットに手を入れて、その紙の感触を確かめる。

・・・・・こんな風に握ってたって、先輩に届くわけじゃないのに、な。