おれのひよこ・17 【好き・U】





―――保健室って。
普通は病気になったときに行く場所じゃないのかな。
なのに"涙が止まらないから"で行くなんて・・・そんなことして、いいの?

けれど、このままじゃとても授業は受けられそうにないし、かといってまっすぐ家に帰っても叔母を心配させてしまう。
何より先生からそう言われたのだから、従うしかない。

(・・・保健室以外、とりあえず行くところはない、かも)

そう言い聞かせて、茅代は階段を下りて保健室に向かった。
それでもなかなか涙は止まってくれなくて、私は初めて産まれてきた気持ちに、すごく戸惑っていた。

"恋"って、こんな気持ちになるんだ。

今まで、特定の誰かを強く思うことなんてほとんどなかった。
死んだお母さんや祖母に会いたくて泣いたときはたまにあったけれど、
でもそれはすぐに流れていく日常の中にまぎれ込んでいった。
心配してくれる人、この先のこと・・・・考えなきゃいけないことがたくさんたくさんあって。

けれどこの気持ちは、それとはぜんぜん違ってる。

すごくすごく、先輩に会いたくて仕方ない。
さっき一瞬だけ会うことが出来たけれど、もっともっとってどこかから沸いてくる・・・ヘンな気持ち。

会ってお話をして、くしゃって優しく笑ってる顔を見たい。
ふわふわと風になびいてた前髪に触ってみたり、したい。
・・・・触りたいだなんて。とっても・・・えっちなことに感じるけれど。
でも、そうとしか言えない気持ち。

それが叶わないことが、ものすごく苦しい。
誰かに、心臓をむぎゅー、と握りつぶされているような痛み。

それに・・・。
私、先輩の彼女さんに、きっと"ヤキモチ"というのを感じてる。
苦くてペッと吐き出したくなるようなチクチクした思いが、
先輩に会いたいっていう気持ちを邪魔してて、それもなんだか、すごく嫌で。

こんな、気持ち・・・・。
持ってしまっても、わたしにはどうしようもできない。

(どうしたらいいのか分からない、よ・・・・)

保健室の戸の前で、立ち尽くしたまま、止まらない涙がずっと目を覆ってた。
でもそこに立っててもやっぱり仕方がなくって・・・力をこめなおした指先で、そっと引き戸を開けた。



戸を開けたはいいけどほぼ泣いているだけの私を、保健の先生はすぐ部屋に迎え入れてくれた。
私が悩んでいることも何も話していないのにすぐに察してくれた。
そして、美味しい紅茶を淹れてくれた。

先生、というのは何でいつもこんな風に優しいんだろう。
小学校でも中学校でも、あまり友達が出来なくて悲しくなったときも、先生だけは常に暖かだった気がする。

それだけで恵まれているのだと感じられるように教えてくれたのは祖母だった。
けれど今回の場合はそれだけではなくて、もっと大事なことを、保健の先生は私に教えてくれようとしている。
泣く私をいたわりながら、かける言葉に真剣な思いが込められているのをどこかで感じていた。
・・・・なにを、教えてくれようとしているんだろう。

それを感じ取るのに私は必死で、先生が思い出したように背後のベッドに向かって声をかけたときは心底驚いた。

「あ〜そうだっ、すっかり忘れてたや・・・・お〜い、君も飲む?頭痛の受験生」

・・・・しかもなんで、せんぱいがここに・・・・。

息をするのすら忘れた私は、そのままずっと先輩を見つめ続けていた。
先輩もとてもとても困った顔をしていて、・・・ますます、どうしていいか途方にくれてしまう。

しかも・・・先生はそんな二人をとびきり興味深そうに見つめて。

「そっかぁ、君らは例のコンビよねぇそういえば。
 ちょーど良かったわ、樋口さん、彼に家に送っていってもらったらいいんじゃない?」
「!!!・・・・・・・むむむむむむむ、むり、ですっっ・・・・・・」

(せんせいっ、何を考えてらっしゃるんですかっっ・・・)

美味しい紅茶のおかげで治まっていた涙の代わりに目が飛び出しそう。
さすがに先生の言うことといえ、それは受け入れられそうにない。

「・・・いや、今日はちょっと・・・。」

ほら、先輩も無理って言ってる。困ってるのがアリアリと受け取れる。

けれど先生はまったく気にも止めてない。
とても楽しそうにしながらツカツカと私に歩み寄って。

「恋はね、相手にち〜ゃんと気持ちを伝えないといつまでたってもそのまんま。
 泣くのも、話も、それからなんだから。よーく考えて、今一番伝えたいことを彼に言ってみなさい」

耳元に唇を寄せ、さらさらと囁かれた。
化粧品の香りだろう、ふわっと甘い香りが鼻を掠めた。

(・・・・・・今、一番伝えたいこと?)

私が、先輩に、伝えたいこと。言いたいこと・・・・?

すっかり疑問符だらけになってる間に、先生は先輩に半分脅すように命令していた。

「もー頭痛は治ったでしょ? 彼女を家まで送るんなら、担任の先生には上手いこと言っておいてあげる」
「いや別にそれはどーでも・・・」
「なぁに?どーでもいいっての?ほっほー、花の受験生が何を言ってるのかなぁ?
 この時期に理由もなく早退すると言うのかね君は。それとも、私が大人しく黙っているとでもお思いかな?」
「なっ・・・何、言う気っすか・・・?」
「さぁねぇ。下級生の女の子をたかだか徒歩で10分や20分程度の自宅まで送ることも出来ない
 やわな男子生徒の未来なんて私は知ったこっちゃないし。担任は麻生先生でしょ?おカタい先生よねぇ?」
「・・・・・・」
「さ。送ってあげてもらえるかなぁ?」




・・・ザク、ザク、ザク―――・・・・。

・・・・・・で。
今のこの状況、です。

隣には先輩。
会話もなくただ歩道を黙々と歩いているだけ。

あぁやっぱり・・・・・・・・。
いくら勘の鈍い私だって、いくらなんだって、この状況がすごく気まずいってことくらいは分かる。
お話をするにしても、何を話してよいのやら・・・。

(あ、そういえば。)

会話の端に聞き取れたことを、勇気を出して聞いてみる。

「・・・あたま、いたかったんですか?」
「え?」

頑張って頑張って、聞いてはみたけれど、思いっきり聞き返されてしまいました・・・・。

「・・・ぇ・・と、さっき、頭痛、って・・・」
「あ、あぁ〜・・・。うん。ちょっと、ね」
「・・・・・」
「・・・・・」

やっと会話できたと思ったら、また元通り。
先輩はそ知らぬ方向を向いてしまう。

伝えたいこと・・・、私が、先輩に伝えたいこと・・・。

なんだろう?何を伝えたいだろう。
あ・・・、好き、ってこと、を?
そうか、そうかもしれない・・・マンガで、恋をした女の子がそうやって告白してるのを読んだことがあるし。

でも・・・。
そんな風に伝えたら、先輩は余計に困ってしまうかもしれない。
だって、先輩には彼女さんがいて、彼女さんのことを、大事にしなきゃいけない。
私だって、この気持ちをどうしていいか分からないんだもの。好きなんて言ってしまったら、きっとすごく、困る。

じゃあ、なんて伝えたら――・・・・。

「あ・・・あのさっっ」

思い余った先輩の、せっぱ詰まったような声がして見上げると、必死な顔をした先輩が立っていた。
家までは、あと5分くらいの場所。

「・・・・・も、ここで、いいです」

私が、先輩に、伝えたいこと――・・・。

「・・・せんぱい。・・・もう、これから送り迎え、してもらわなくても、大丈夫です」
「・・・・・」
「・・・彼女、さんと、仲良くしてください・・・」
「・・・・・」
「じゃあ・・・」

・・・うん。きっと、こんな気持ち。

先輩には、笑ってて、ほしい。
だからきっと、こんな言葉で大丈夫。

(う〜ん。確かに少し、スッキリしたかもしれない)

そう思って歩き出した。
けれど気配を感じてそっと振り返ると、そこにはまだ先輩が立っていた。

・・・なんだか、人なつっこい子犬が置いていかれたみたいに、ぼんやり立ってる先輩。
見てたらふうっと、笑みがこぼれた。

(もう、そんなに困らなくてもいいです、先輩)

「も、だいじょうぶ、ですよ?」
「・・・・・・」

先輩は、頭をガシガシとかきむしった。
それもなんだか、子犬が後ろ足で毛づくろいをしているようで。

・・・・・・・あぁ。
こういう気持ちを、『好き』っていうんだ。
ぎゅって胸がつらくって、でもドキドキしてて、ちりちりって熱い。
あらためて私は、この不思議な気持ちを味わう。

(せん、ぱい・・・)

おっきい身体を小さくして、申し訳なさそうに。
何て言っていいか困ったまんま立ち尽くしている先輩が・・・。

「・・・・ちよこ、っていうんです」
「・・・・へ?」
「名前。ほんとうは、ちよこ、っていうんです。」
「・・・・・・」
「おとうさんと、おかあさんが、つけてくれた名前。"茅代子"って、いうんです。」

―――好きです。先輩が、好きです。

ちょっとだけ、泣いてしまったけれど。
伝えたかったことは、ちゃんと全部、伝えられた気がする。

だから、きっともう大丈夫。
また明日から・・・いつもみたいに生きていける。