分かったのは、何かが起こってた、って事だけだった。
恐ろしさを感じるほど怒っている青木先輩。
沙里ちゃんも戸を開けた途端にすっとんできたイスに驚いて、そしてただ事ではない緊迫した空気に呑まれて、唖然としている。
私たちに気がついた金山先輩がこっちに来てくれて、教室の戸を後ろ手で閉めながら沙里ちゃんと私を少し離れた階段の踊り場へ案内してくれた。
それがなかったら、たぶん私も沙里ちゃんも青木先輩もそのまま動けなくなってしまってたと思う。
それくらいの重い重い沈黙が、そこにはあって。
「・・・・・・いっ今の、なにっ??」
「え〜と・・・」
「カネやん今のは修羅場ってものじゃないのっ??」
「そう・・・さっすが沙里ちゃん♪」
「さすがじゃなぁーーーーーーーーーーーーーーーい!!!!!」
沙里ちゃんの大きすぎる声が廊下にものすごく反響した。
顔を真っ赤にしてすごく怒っている。
そっと手を引いて押さえようとしたけど、ブン!と音が出そうな勢いで簡単に振り払われてしまった。
金山先輩は勢いに飲まれてしまってすっかりタジタジ。
ふうっと、文化祭のときにまとめ役を任された沙里ちゃんが、なかなかみんなが言うことを聞いてくれなくて困り果てて、
あげく頭に血が上って同じようになっていたのを思い出す。
・・・だめ。
こうなると、千晶ちゃん以外は誰も止められない・・・。
「青木先輩、彼女いたんじゃんっ!!」
「いや、うんまぁ・・・タツの中では別れてるコトになってたんだけど、彼女のほうはそーじゃなかったっつーかさ・・・」
「意味わかんないっ!!!」
ちゃんと分かるように説明してっ!!と鼻息も荒い沙里ちゃんに押されて、
金山先輩は音が反響しやすい廊下を避けて、近くの誰もいない化学準備室へとまた案内してくれた。
そこでものすごく言いにくそうに、金山先輩が話し始めて、
沙里ちゃんは怒りながらもだんだん、眉根を寄せて難しい顔をし始めた。
「・・・青木先輩、ドンカンですか?」
「超ドンカン・・・というかあんまし、深く考えないんだよね。
たぶん言葉通りに受け入れちゃったんだろうな、『別れる』っていうケンカの文句を。」
「そんなの、そんなのっ、『はいそうですか』じゃなくって『イヤだ』とか言っておけばよかったのにぃ〜〜〜〜」
最初は上手くつかみ取れなかった内容も、金山先輩と沙里ちゃんが
"解りやすく、噛み砕いて"話すから、と説明してくれたおかげで、ようやく分かってきた。
「もしかしたら、わかんないほうが良いかも・・・」
そんなふうに気遣わしげに話す沙里ちゃんと、困り果ててなぜか「ごめんね」と繰り返す金山先輩。
「結局ひよちゃんは利用されそうになっただけ?そんなの許せないっっ!!!!!」
そうやって沙里ちゃんはぷりぷりと遠慮なく怒りを振りまき、廊下を歩いている。
周囲の人が怪訝そうに、ぐるりと沙里ちゃんを避けながら歩く。
それを止めることもできずに、ぼんやりと後ろを歩いていた。
青木先輩が、お付き合いしていた人に、フラれた(と思い込んで)落ち込んでいたこと。
そこに、私が現れて・・・ってこと。
―――1人の人が、1人だけを好きになるわけじゃないってこと。
『タツは、ひよちゃんのことからかおうとかそんなんじゃなかったんだよ?』
恋を忘れるためには新しい恋をしようとすることだってあるんだよ、と。
だから青木先輩を責めないであげてくれって、金山先輩は何度も頭を下げていた。
恋をしたことも、されたことも初めてだったわたしにはよく分からないことばかりで。
・・・けど、もし頭で分かっても心は・・・ついていけそうにもない。
外は秋晴れで、青い青い、澄んだ空だった。
窓に近付いてそおっと見上げてみる。
飛行機になれたなら、遠く遠くまで見渡せてどこまでも飛んでいけそうな、そんな空。
そんな気持ちを代弁するかのような飛行機雲が、薄く淡く、今にも千切れてしまいそうに軌跡を残していた。
「ひよちゃーんっ!授業始まっちゃうよ〜」
「・・・・うん」
さっきより怒りが収まったような沙里ちゃんは、私の腕を取りすたすたと階段を下りていく。
それに必死で足を合わせて階段を駆け下りて、教室に着くころには半ば引きずられるような格好になっていた。
「おかえり〜・・・って沙里、またひよちゃん引きずってきちゃったの?だめじゃない」
「あちゃぁ!ごっめーん!!だって早く行かないと間に合わないと思ってぇ・・・だいじょうぶ??」
「・・・うん、だいじょぶ・・・」
途中、角曲がるときに振り回されて頭ぶつけそうだったけど・・・
「メモ渡してきたの?それにしては遅かったんじゃない?」
「それがさー!!!聞いてよぉー!!!」
沙里ちゃんは怒りのボルテージをまた上げて話し出し、千晶ちゃんは真面目な顔で沙里ちゃんの話を聞いていた。
それから、これ以上ないくらい困った顔をして私を見た。
沙里ちゃんも気遣わしげにこちらを見やる。
・・・・・なん、だろう?
それから二人で細々と周りには聞こえない程度の声で話し始めた。
「青木センパイ、さぁ・・・」
「うん」
「青木センパイ、彼女とヨリ戻すのかなぁ?」
「・・・そうかもね」
・・・よりもどす?
よりって何?
もう一度付き合うってこと・・・かな。
「ヨリ戻しちゃったらさ、もう遊んだりしにくいよね〜」
漠然と"よりもどす"の意味に納得していたら沙里ちゃんが残念そうにそう呟いた。
思わず「なんで?」と聞いてしまう。
「だってさー、あんな昼休みの教室で大騒ぎするような彼女だもん。
やきもち焼き、つまり、青木センパイのこと独占したい!って思ってるってことじゃない」
「・・・あ、うん」
そういうものなんだ・・・。
怒っている先輩の手前で、女の先輩に囲まれて泣いているみたいだった人を思い浮かべた。
蹴られた椅子を避けるようにみんなが逃げて固まっていた中で、ただ1人青木先輩をじっと見つめてた、女の先輩。
「あたしとかひよちゃんと遊んでたら、青木センパイが怒られちゃうよー」
「・・・・・」
・・・そうか。
じゃあもう、送り迎えもしてもらえなくなるのかな・・・?
「ひよちゃん?」
「・・・千晶ちゃん、なぁに?」
「あまり落ち込まないでね」
心配そうにこちらを見つめられて、急に胸が詰まって言葉も何も出なくなった。
昨日からずっと、言葉に出来ない感情が心の中にある。
青木先輩に本当の気持ちを言えなかったときの苦しい気持ち。
教室で見た先輩の、しまった、という表情。
彼女さんであろう女の先輩を見たときのちくりとした心の軋み。
もう、送り迎えしてもらえなくなる・・・、その寂しさ。
もしかしたらもう会えないかもしれないと感じた、あの予感。
ぎゅう、と胸が押し潰されそうに痛くなって、知らず知らずのうちにその場に屈み込んていた。
・・・なにこれ?なに、これは、なに・・・?苦しい、くるしいよ・・・・・
「ひよちゃん?ひよちゃん大丈夫??」
「・・・いたい・・・」
「何?どうしたのおなか痛い?」
「・・・・・胸、いたいの・・・ずっとずっと、胸が痛いの・・・」
つぅっと、頬に暖かいものが流れていく。
「ひよちゃんっ!!!」
沙里ちゃんの腕が体に回り、きつく抱きしめられた。
「やっぱり先輩のコト好きだったんだねっっ」
・・・・・・す、き・・・?
「ひどいよっ!先輩ひどいよぉ〜!!私絶対文句言ってやるんだからっ!!!」
泣きながら声を荒げている沙里ちゃんの声が耳元で聞こえる。
こんなに大きくて廊下にまで反響しそうな声なのに、なぜか遠くで雷がなっているようにしか聞こえない。
――――すき。せんぱいのことが、すき。
言葉にしてしまえば、そうかこれが・・・で終わってしまう。
こいをしてた。
わたし『恋』をしてた。
知らないうちに、先輩に恋をしてた。
頬を流れる涙は止まらなくて、抱きしめられる腕は力を増してきて苦しくて、
昔小説で読んだ、そのときはピンとこなかった感情が、
「これだ!」と納得する間もなく巻き起こって心は捻じ曲げられるように痛かった。
今すぐ、いますぐに先輩に会いたい。
でもその願いはもう、叶わない。
そう自覚すればするほど苦しくて涙が溢れて・・・・・・・・。止まらなかった。
その後、めんどくさそうに授業の開始を告げながら教室に来た数学の教師に、茅代は保健室へ行くように命じられた。