ヒカルの様子がおかしい。
俺よりはるか先に大学に帰ってたはずなのに、鞠を家に送った後研究室に戻ったらいなかった。
10分後くらいに、やたらグッタリして部屋に入ってきたので「お前なんかあったの?」と聞いたら
「いや・・・なんでもない」
と。
口を開くのも億劫そうにそう言って、机につき資料を開く。
だけど、上下逆に開いてしかもそのまま見てやがる。明らかにおかしい。
「・・・下痢か?」
「いや、なんでもないったら」
体調が悪いわけではないらしい。
じゃあ悩み事か?
「なんでもない顔じゃねーぞ。言ってみろや、力になるぞ?」
常にこっちが頼ってばかりなことが多い俺らの関係だが、それは俺が頼りないからっていうよりもヒカルがあまり自分のことを話さないからだ。
だがこの顔色の悪さはちょっと気になる。さっきまでは普通だったのに。
少し間があって、ヒカルが苦しそうに言った。
「―――好きな子が、できたんだ」
「は?」
(いきなり?!)
「でも、その子には彼氏がいるんだ」
「・・・おぅ。それで?奪えないから苦しいってか?」
ヒカルの口から女の話が出るなんてまったくもって初めてで、最初聞き間違ったのかと思った。
しかし、思い詰めたヒカルの様子がそうじゃないと教えてくれた。
「いや、いいんだ・・・俺は、その子が幸せなら、それで・・・」
黙って聞こうとしていたのに、そこでヒカルは言葉を止める。
まっすぐ見つめていた俺から目線を反らし、息をひとつ吐き整え、落ち着きを取り戻したように見えた。
そして上下逆さの資料を正しい位置に戻して読み始めた。
「・・・あんまり思いつめるなよ」
「うん、ありがとう。もう大丈夫だから」
そう言って笑った顔はもういつものヒカルだった。
が、大和は少し心配になった。
(やっぱ、生きてきた今まで女がいないっていうのはそろそろヤバいんじゃないか?)
マジで女紹介してやんねぇとな。少し免疫つけてやんねぇと。
そう思っていると、ヒジにコンビニの袋が当たりカサカサ、と音を立てた。
「あ!」
俺は思い出した。
「ヒカル、お前メシ食った?これいらね?」
「いや、いらない。それどうしたの?」
「鞠が俺の分のメシも、つってすっげーいっぱい買って来ちゃったんだよな。あいつ腹減ってたみたいで」
「・・・そういえば、そんな袋持ってたかも。俺が見つけたとき部屋の前で座り込んだままサンドイッチ食べてたし」
「マジ?あいつそんな腹減ってたのか・・・」
確かに小さな身体のわりには、よく食べる方だけどそんな待たせ方をしてるのかと思うと申し訳ない気分だ。
今度会うときはバイトの休憩所とかで先に食べるように言っておこう・・・
「あ!木下さんにあげてこよっかな」
「え?!ダメだよあの人はドーナツしか・・・」
「いやいや、そればっかじゃ飽きるって絶対!たまには塩分と米も必要だろ!
俺この間携帯直してもらったお礼もしてないしちょうどいいや、あげてくるわ」
ヒカルには止められたけど俺は木下がいる実験室に行った。
相変わらずドーナツの袋を横に置き、食べながら何かやっている。
「木下さ〜ん、おにぎり食いません?」
「・・・え?」
没頭していた木下がゆるゆると振り向いた瞬間。
体重に耐え切れなかったのだろう、ギシッ!とオンボロのパイプ椅子が折れたかと思うような悲鳴を上げた。
大丈夫かオイ。やっぱここは和食でダイエットさせようぜ。
「おにぎりとサンドイッチ。コンビニのだけど。ドーナツばっかじゃ飽きるっしょ?たまにはいいすよ、米も」
「・・・」
「ん?どうしました?」
「本当に、いいのか?」
「はい全然!実は彼女が買いすぎちゃって。俺こんなに食えないし、よかったら食ってくださいよ」
「・・・ありがとう」
そういって木下さんは俺から袋を受け取り、大事そうに抱えた。
「伊藤、お前いい奴だな」
「え?いやいや、それくらいたいしたことないっすよ」
「俺誤解してた。お前自分勝手な奴だとばっか思ってたけど、・・・すごいうれしいよ、大事に食う」
「・・・あ、はははは。そうすか。よかったっす」
どうやら感動しているらしい。目とかうるうるしてんだけど・・・
俺は少々不気味に思いながら自分の机のある部屋に戻った。
しばらくして、俺がそろそろ帰ろうかな〜、と荷物を整理していると木下さんがもそっ、と部屋に現れた。
「伊藤!これやる!」
突き出した手に握られているのは、さっき俺が渡したコンビニの袋に入った大量のドーナツ。
「い、いや俺そんなに食えないですよ!さっきのお礼ならもういいです。ほら携帯だって直してもらったし」
「いや、受け取ってくれ。この2年の間でドーナツづくしの俺にあんな差し入れしてくれたのはお前だけだ。うれしかったんだ。受け取ってくれ!!!」
あまりの情熱に腰が引けた。
「・・・は、はぁ、そうすか。んじゃもらっときます」
「"和風ツナ"、最高だったぜ!じゃぁな!」
そう言って木下は巨体を揺らして風のように去っていった。
俺の手にはビニール袋にそのまま突っ込まれた大量のドーナツ・・・・
「・・・ヒカルぅ〜〜」
「俺、いらないから」
「助けろよ〜俺だってこんなにいらねぇよ〜!」
ヒカルは下を向いて、真っ赤な顔をして苦しそうに笑いを堪えていたが。
「・・・・・・あ〜もうダメ!面白すぎ!あははははは!!!」
俺たちは顔を見合わせては笑いころげ、隣室の違う先輩に「お前らうるせぇよ!笑ってんなら帰れ!」と怒られるまで笑い続けた。
次の週の土曜日、隣のゼミの黒縁メガネで完全にスネオタイプの篠塚って奴が、
「24(トウェンティーフォー)の新作、お前バイトしてるとこにまだあるか?」
と俺に聞いてきた。
あったかも、というと今すぐ連れてってくれ、という。
そこまで仲良くないヤツだったから車を出すのも面倒だったけど、ちょうど論文煮詰まってたし、息抜き代わりにちょうどいいかと思いヒカルも連れてバイト先に行くことにした。
前から店長が『青木は元気か?』とちょいちょい言っていたからだ。
店について篠塚はすぐに新作コーナーへ、ヒカルは店長と話し込み、俺はシフトの確認に行った。
シフト表は店長の部屋のドアに貼ってあるのだが、そこの鞠の枠に上から書き足すように赤ペンで×がついていた。
×は、休みの印だ。日付は今日。
(え・・・?あいつ休み?そういや店内にもいないみたいだったし・・・)
俺はヒカルと話していた店長に聞いてみた。
「今日仲山さん・・・は休みっすか?」
すると
「あれ?お前知らないの?今日人足りてるから休みあげたんだよ。伊藤といるとばっかり思ったけど・・・」
などというではないか。
まったく聞いてない・・・、ウソだろ〜と思っていたら店長が追い込みをかけてきやがった。
「あ〜、そろそろ付き合って3ヶ月くらい?倦怠期だよなー。違う男と遊んでたりしてなー。ひひ」
瞬間、俺は想像してしまった。他の男とうれしそうに手をつないで歩く鞠・・・そしてその先は・・・
俺はそわそわし、いてもたってもいられなくなっちまった。
(待て待て待て待て!!!そんなわけない!絶対違う!)
そう自分に言い聞かせながら店の外に出て、速攻鞠に電話をした。
プルルルル・・・プルルルル・・
「はい、もしもし。大和?」
意外と普通の声、いつも通りののんびりした感じ・・・俺はなんだかちょっとほっとした。
「もしも〜し?今日休みだろ?俺以外のどなたと遊んでらっしゃるのかな?」
「あ・・・今、ミーちゃんとお茶してるの」
「ミーちゃん?あぁ、あの海で会った子か?へぇ、元気にしてんの?」
「うん、さっきまで洋服一緒に選んでていろいろ見てもらってたんだ」
俺は心の底から安心した。
そうだよな、鞠に限ってそんなことないよなぁ。それでも、何も話してくれなかった鞠に怒りがつのる。
「・・・ごめんなさい。だって大和に無理してほしくなくて」
「あのねー、俺は無理したくてしてんの!だから黙ってんのとかナシ!俺、不安で脳みそ狂うかと思ったわ」
「ごめん・・・」
気がつくと、鞠がごめんなさいを連発している。
(しまった・・・ちょい言い過ぎたかも・・・)
「――ま、ミーちゃんとっていうのならいいけどねー。そうだ、今からミーちゃんも連れてこっち来いよ」
「え?」
「ヒカルもいるんだ。みんなで遊べばいいじゃん」
「えっと、ちょっと待って、聞いてみる」
遠くのほうから鞠が誰かと話す声がしたと思ったら、急に
「友達イケメン?だったらいいよ〜」
と違う女の子の声がした。出た、このノリのよさ。
とはいえこちらも人見知りはしないほうなのでどっこいどっこいか。
「お〜、久しぶりじゃん。元気?」
「ひさしぶりぃ〜、元気だよ〜!」
「ならよかった。ところでイケメンってか・・・あのなぁ、心の目を開いて見てみろ、そしたらみーんなグッドルッキングガイだぞ」
あはははっ!
受話器の向こうでケタケタと笑っている姿が目に浮かんだ。
「大和くんマジウケる〜。悪いんだけど5時からバイトなんだよねぇ。また今度ってことで」
「マジ?なーんだ残念だな。バイトって何やってんの?」
「バイト?焼き鳥屋だよ〜。ほら、大和くんの学校の近くのさ」
「あ〜、この間リニューアルしてた店のことか?」
「そうそう、あのデッカイちょうちんぶら下がってるとこ」
「へぇ、そんな近くでバイトしてたんだ。気がつかなかったわ、じゃぁ後で行ってもいい?」
「あ、別にいいよー。店は7時からだけどそんでいい?」
「おっけーおっけー!鞠にも言っといて」
「わかった、言っとく」
「そんでさ、悪いんだけどミーちゃん車? 鞠、バイト先まで連れてきてくんねぇ?場所知ってるだろ?」
「うんうん、そこまで送ってあげればいいのね。おっけー♪んじゃまた後でねぇ」
・・・プツッ、ツーツーツー・・・
(おいおい切っちゃったよ、せめてもう一回鞠に替わってくれよな・・・)
なかなかさっぱりした女だなミーちゃんも、と思いつつ、
たまにはヒカルを研究室の外に連れ出すのも悪くない。あいつには外気が必要だ、と思った。
(あと、女。男がいる女に・・・なんて、変な片思いしやがって・・・)
俺は店の中に戻り、まだ店長となにやら話しているヒカルに
「おい、夜から焼き鳥食いに行くぞ!ミーちゃんとこ、行くぞ!」
と声をかけた。
「は?ミーちゃんって誰?」
「いいからいいから。お〜い、篠塚も来いよ。あと鞠もいるから」
「あ・・・うん」
なにがなんだか分かってないヒカルをよそに、ついでにと誘った篠塚も
「あそこの焼き鳥屋?そういや新しくなってからまだ行ってないな〜、行くよ」
とOKを出してきた。
「さて、彼女がここに送られてくる前にお前らを研究室に戻したいんだけど、もういいか?」
「構わないよ、24も借りれたし。あ、コンビニ寄ってくれないか?タバコ切れてるんだ」
「・・・いいけど?」
篠塚・・・お前、俺のことパシリかなんかと勘違いしてんじゃねぇだろうな・・・