あれから何日かして篠塚が学校に来た。
「悪かったな」
「いや、俺のほうこそ」
明らかに疲れはてている様子。
どうなることかという周囲の静かなひやひや感を打ち消すように、柔らかい表情でこちらに話しかけてきた。
そのまま立ち話もなんだから、と二人で飯を食いに外へ出る。手に巻かれた包帯が痛々しい。
いつもの喫茶店でいつもの定食を注文してから、ようやく息をつく。
思っていたよりも緊張していたようだ。
篠塚も同じ心境だったのか、目が合うと自然とどちらともなく苦笑しあった。
「彩香、さ」
「うん」
「すごい落ち込んだらしくて俺に連絡してきたんだ。一緒に昼飯食ってなんとなくそのまま一緒に歩いてて」
ビックリしたよ。まさか伊藤とマリちゃんを見かけるなんてさ。
その時の状況を思い出すかのように、篠塚が眉根をしかめ遠くを見るような目をした。
喉に息がつかえているような感覚のまま「買い物、してたんだ」と答えた。
「らしいな。聞いたよ。偶然って怖いよな」
「なんか、仲良さそうに歩いててさ。それ見てた彩香がカッターナイフ出してきて・・・。
止めるのに一生懸命で、周囲があんな騒ぎになってるの全然気がつかなかった」
会わなければこんなことにはならなかったのに・・・
言葉にしなくてもそんな思いが篠塚の語尾に滲んでいる。
話題を変えたくて、少し気になっていたことを聞いていた。
「・・・なぁ。なんで都合よくカッター持ってんだ?普段持ち歩くようなもんじゃないだろ」
「あぁ…カッとなると出してくるんだ。付き合ってても何か気に入らないことがあると、出してきて脅すんだ」
こともなげに篠塚が答える。
「別に本当に切ってくるわけじゃないから。切られちゃったのは今回初めてだよ」
普通の顔で話しているのが、俺には信じられない。そういう問題じゃねぇだろうよ…物騒すぎるだろ。
開いた口がふさがらない俺に、篠塚はまた苦笑を浮かべた。仕方ないんだ、と。
「そういや、この間の話でこれは言わなかったよな」
「お前よく1年も持ったな・・・」
「あれで可愛いところもあるんだ。許してやってくれ。マリちゃんや伊藤に怪我がなくてよかったと思ってる。知ってるの?今回のこと」
「いや、言ってない。つかカッとしてカッター出すって、あんだけケンカしてた俺も危なかった・・・?」
一瞬キョトンとした篠塚は力なく「ははっ」とらしくない笑い方をした。
「う〜ん、よかったね。なんともなくて」
「よかったねじゃねーよっ、それ先に言うだろ普通!」
「大丈夫だよ。あれくらいじゃ出してこないのは分かってたから」
半分冗談で入れたツッコミに、やっといつもの顔を見せた。
顎を少し上げた、プライドの高いスネオみたいな。
(こいつはやっぱ、こうでなくちゃ張り合いがねぇな)
好ましい態度とは言えないけれど、篠塚らしくねぇ弱気な様子はどうも落ち着いて見ていられない。
ふっ…と、少しだけ迷うような目をして、篠塚が言った。
「あのさ。五十嵐組って知ってる?」
「あぁ。この辺では大手のゼネコンだろ?しかもちょっと筋もん寄りの」
「お前良く知ってるね」
「俺、工事現場のバイトとかしてたから、話だけしか聞いたことねぇけど」
お待たせしました〜。本日の定食です。
話し始めようとした俺らの目の前に、湯気を立てた味噌汁と白いご飯、アジのフライが乗った盆が置かれた。
ふわりといい香りが鼻をかすめる。
「これ、あんまり人に言わないでほしいんだけど。あいつ、そこの一人娘なんだよ」
「えぇ!持ってるもんが高そうだなとは思ってたけど…」
社長令嬢かよ。
しかしそう聞けば、五十嵐彩香の行動パターンは納得いく部分もある。許せはしないが。
「初孫で先代の祖父さんに溺愛されて、子供の時から彩香が白って言えば白。黒つったら黒で来たらしい。
彩香を泣かした子供の親んとこに、組の奴らが脅しかけに行って黙らせちまったり。
だからこれまで、周囲もまともにあいつと接してくれなかったみたいで。
俺と出会ったころにはもう先代の祖父さんは亡くなってたんだけど、自分が願ったことは大概叶うのは、彩香にとって当たり前の感覚になっててさ」
(聞けば聞くほど、やばい奴…)
「親は何してんの?」
「あぁ…ご両親は至って普通の人なんだ。お金持ちだけど、ビックリするぐらいまとも。今回の事も、俺の親にまで頭下げに来てくれたよ」
「…」
「付き合ってるときも喧嘩ばっかりで。いや、喧嘩っていうか俺くらいしかいなかったんだ。あいつに注意するの。
そういうのも申し訳ない、っていつも声かけてくれたり、彩香のこと諫めたりしてくれて。
でも彩香は親の言う事なんて鼻にも引っかけないから、何の効き目もないんだけどね」
「お前さぁ…人良すぎじゃね?何でわざわざそんな難しいのと付き合ってたわけ?」
「…なんでだろうなぁ。だけど。こんなんじゃもう今さら・・・」
戻ったと思った嫌味な表情がまた、憂いに変わる。
「今さら、他の女の子なんて無理なのかもな」
「・・・マジで言ってんのか?」
そう言うと、また苦笑いした。
しかしそれすら、この状況でよく笑えるなと思うくらいだった。
「こんなことになってまで、まだ庇うのかって思うだろうけど。あいつ、可哀想なやつなんだ」
"どうしたら 普通に友達って出来るの?"
"小さい時から もう 周りの状況がそうさせてくれなかった
クラスの子達に一緒に遊ぼうと誘っても すぐに祖父が干渉してきてダメになって
マラソンも他の子が私を追い抜くと祖父がその子に怒りに行ってしまうから みんな私を追い越さないようにしてたりして
そのうち誰もしゃべってくれなくなっちゃった"
「異常な環境だなそりゃ…」
「俺は元々、あいつの高校時代の家庭教師のうちの一人だったんだ。
あの見た目で社長令嬢だから、まだ10代の当時から金目当てで寄ってくる男も居て恋愛でもろくな思いしてきてなくて。
色々話聞いてるうちに何かほっとけなくなっちゃって付き合うようになったんだけど。何て言うか…
あいつにとって、多分俺は彼氏というよりは、初めての友達?親友、みたいな」
「…」
「だから"好きな人ができた、別れる"って言われた時は本当に落ち込んだんだ。俺の存在って何?って。
自棄になっちゃって他の女の子に目を向けてみようとか色々したけど。お前にも色々聞いたりさ。
…でも何かもう、ここから逃れるとかもう無理じゃないか?っても思うし」
ごめんな、こんな話して。
そう締めくくって、篠塚はようやく割り箸を手に取った。
俺も倣ってアジフライに手を付ける。味は、あんまりしなかった。
「篠塚くんもう大丈夫なんだ、よかったね」
「うん」
待ちに待った誕生日イブの夕方。
「何食いたい?」と聞いたら「初めて連れて行ってもらったとこ」と言ってにこっと鞠は笑った。
「あそこでいいの?今日は金持ってるからもっといいとこ言えよ」
「いいの」
「ふ〜ん・・・」
気ぃ使われてるのかな。
そう思いながら、夏以来訪れていなかった海沿いのレストランへと車を走らせる。
車から降りた鞠は「やっぱりここ、キレイ!」と嬉しそうに言った。
店に入ってコートを脱ぐと、白の短めの丈のワンピースを着ていた。
胸の下にリボンが結んであって、カジュアルな服装が多い鞠には珍しい女の子っぽい服装。
髪もアップにしてあって、何というか。"おめかし"してきた感じだ。
「かわいいの着てきたな」
「うん」
「そんなの着てるんだったら、もっと店・・・」
俺が言いかけると、ううん、と首を振った。
「いいの。ここに来たかったんだもん」
二人で初めて来た場所で、お祝いしたかったの。
少しだけ恥ずかしそうにそう言う鞠がただ可愛くて、そうだな、と答えた。
さすがに、泊まるホテルも最初にしたとこで…という感情はお互い芽生えなかったので。
俺なりにセレクトした綺麗なところへ。
あらかじめ用意していたケーキとスパークリングワインで乾杯して「おめでと」とそこでピアスを渡した。
あの後なんとか時間を作って買いに行った、雪の結晶の形をしたピアスだ。
結晶の中にひとつづつ、小さいけどジルコニアかなんかが入っている。
けして高いものじゃないけど、まぁ俺に出来る精一杯ということで。
選んだのはいいけど自信がなくて、小さい白いケースをあけて鞠が目を輝かせるのをみて、ようやく俺はホッとした。
「かわいい・・・」
「つけてみる?」
「うん!」
鏡の前に行って、今までつけていたピアスを外したところまではよかったがなかなか上手く穴にはまらないらしく苦労している。
やってやるよ、と言うと素直にピアスを持って俺の前に戻ってきた。
「お願いします」
「ほいほい」
子供みたいにされるがままなのが面白くて、いつも舌先や唇で愛してやる耳にわざと爪先で優しく触れた。
「や・・・」
とくすぐったそうに身をよじる。
でもわざと触れてると思わないのかそれもされるがままだ。
…そそる。
しかしそんなことはおくびにも出さずピアスをはめた。
「よし、ついたぞ」
「ありがとう」
「肌身離さずつけててな」
「うん、外さない」
(外さない、だって。あ〜、なんでこいつはこういちいち可愛いこと言うんだろ・・・)
俺は鞠の顔を撫でた。
透明のマスカラで睫毛だけあげてある。
白い肌に少しそばかすが浮いているけど気になるほどではなくて、むしろそれごと舐めて食ってやりたいくらいだ。
なんで、そうしてみた。
ほっぺを舐めてキスをし、鼻にキスをし、唇にキスをした。
鞠は頬を舐められ「ひゃっ!」とヘンだけど可愛い声を上げながら、けれど逃げもせずに黙って受け入れている。
(珍しー…今日は逃げないんだ?)
場所が違うから?誕生日だから?
理由は分からないながらも、むくむくと盛り上がる俺のエロ心。
「さて。ここ、風呂でかそうだから一緒にはいろ〜ぜ」
「えっ?!…ホントに?」
ここで途端に引いちゃうあたりが、やっぱり鞠だ。
やっぱ一緒に風呂は恥ずかしいらしい。
「泡風呂にしたら大丈夫だろ?」
「泡、風呂?」
俺は先ほどチェック済みの風呂場にいって、備え付けのバスオイルみたいなので泡風呂を作った。
空っぽのバスタブにバスオイルを垂らし、そこに蛇口から湯を一気に流し込む。
「うわ・・・こうやって作るんだ」
ジャー!という水温とともにみるみるうちにブクブクと泡が立っていくのを、鞠が珍しそうに横から覗き込んでくる。
「初めて?」
我ながら当たり前なことを聞いたな。とは思ったが、案の定鞠がむくれた。
「大和は初めてじゃないんだよね?」
ある程度は仕方ないことだって俺も割り切ってるけど、鞠は俺の"今まで"を気にする。
気にすることなんてないと思うほど、俺は鞠に夢中だと言うのに。
「そりゃ〜鞠よりはいろいろ経験あるから。おかげで役立つ。鞠喜ばすのに」
「・・・」
「ん、ヤキモチ?かわい〜、服脱がしちゃお」
黙り込んでしまった鞠。
背中のファスナーに手をかけたら「いやっ」と言ってぱっと俺から離れた。
真っ赤に染まる頬。もちろんここで脱がすつもりはない。
「あはは、恥ずかしいなら先入ってれば?俺ケーキ食ってから行くから」
「・・・うん」
「お湯適当に止めておいて」
そう言い残し、俺はリビングに戻ってタバコを吸った。
そして…少しだが憂鬱な気持ちになった。
(篠塚は大丈夫なのかね・・・)
実は最初、ちょっとそっちに気持ちがいっていてそぞろだった。
「・・・ま、今日はもう考えるのよすか」