鞠と手を繋いであちこち店を回った。
何か目的があるわけじゃない、ただのウィンドウショッピングだけでも十分に楽しい。
それでも1時間くらいしてちょっと歩きつかれてコーヒーでも飲もうか?と話しながら何気なく携帯をチェックすると。
「げげ・・・教授から電話かかってる。鞠、ちょい待ってて」
「うん」
俺は鞠から少し離れ道端の自販機に寄りかかりながら何件も残っている着信履歴から教授に電話をした。
トゥルル…と鳴るか鳴らないかのところで、即効繋がる。
「い、伊藤っ!やっと出たかお前っ…すぐ戻って来い!警察が来てるんだっ」
「はぁっ?」
何の冗談だ?最初はそう思った。
「篠塚が刺されてな、加害者の女の子が原因はお前だと言い張ってるそうだ。大学戻ってこい、事情を聞きたいそうだ」
それを聞いた瞬間、血の気が引いた。
「篠塚が?!大丈夫なんですか??」
「すぐ戻ってこれるか?」
「はい、すぐ戻ります!」
俺は電話を切って、ズルズル・・・とその場にへたり込んだ。
勢いよく返事をしたものの。
(マジかよ・・・)
信じたくない。出来れば。
けれど教授があれだけ血相変えて電話に出てきたということは、本当なんだろう。
女の子の名前も言ってなかったがそんなもんいわれなくても見当がつく。
冷や汗が、出てきた。
異変を察したらしい鞠が、心配そうに「大丈夫?」と俺を覗き込んできた。
(こいつには・・・言えないな)
「鞠、悪ぃんだけど急用ができた!大学戻るわ」
「え、何があったの??」
「・・・篠塚が、女の子に刺されたらしい」
「えっ?!ケガしてるの?」
「いや、たいしたことないらしいんだけど、今すぐ戻るわ」
「わかった・・・」
事情は分からないなりに、俺の様子がおかしいことは一目瞭然なんだろう。
「んじゃ行こうか」
駐車場まで歩きだそうとする俺の腕を、鞠は引き戻した。
「待って、大和。私バスで帰る。だからすぐに大学行って」
「いいのか?」
「うん、急いだほうがいいんでしょ?」
(鞠…)
疑うことを知らない無垢な頬に、手で触れた。柔らかくてすべすべした感触に少し心がなごむ。
考えることなく身体が動き、俺は鞠の頬にキスをしていた。
「悪ぃな、そうさせてもらうわ。夜に電話する」
「…うん」
突然街中でキスされたのが相当恥ずかしかったようで、俯いてしまった鞠を置き去りにして俺は走り出した。
学校へ戻り、とりあえず教授のいる部屋に向かうと「お前、とりあえず応接室行けっ」とどやされ登ってきたばかりの階段をまた駆け降りる。
「遅くなりました!伊藤大和です!!」
バン!と応接室のドアを力任せに勢いよく開けると、驚いたように男と女、二人の刑事とヒカルがこちらを見た。
(え。ヒカルがなんでここに?)
瞬間的に浮かんだ疑問はすぐに次の思考で解決する。
俺がいなかったから代わりに事情を聞かれていたんだろう。
「ヒカル、すまんっ!」
すぐに飛び出た謝罪の言葉に、ヒカルは軽く頷いたように見えた。
そして、俺と入れ替わるかのようにさっさと部屋を出ていく。
今まで時間稼ぎしてましたよ、あとはよろしく、とでも言いたげな態度だ。
「さて、伊藤くん」
「はい」
刑事は二人。
太っちょというかガタイのいいオッサンと、30歳半ばのいかにも仕事できます風の女。
オッサンのほうがナカヤマです、女のほうがササキですと名乗った。
「事情はどこまで聞いてるかな?」
オッサンのほうが俺に聞いてきた。話し方は温和だが目がキツイ。
「…篠塚が、ケガして。で、怪我させたのが…五十嵐?」
半疑問形になってしまったのは、知ってることがあまりにも少なかったからだ。
「うん。そうだねぇ。で五十嵐さんが君が悪いんだと言っている。君はそれについて、どう考えている?」
「…」
(そう来るか…)
「一方的に向こうから悪いと言われるのは…間違っていると思います」
「うん」
「確かに何度も押し掛けてこられて迷惑で冷たくしてしまったし、それで傷つけたことは謝ります。
だけどそれで何で篠塚がケガしなきゃいけなかったんですか?」
そっかぁ、とまるで何も聞いていなかったような軽い返事に少し拍子抜けした。
「君、今日デパート行った?S駅の隣の」
「はい」
「彼女も一緒に?」
「はい。…あ」
駅、デパート…それを聞いて頭の中にひとつの光景が思い出された。
デパートの入口んとこで何か、人だかりがあったような…。
こちらの思考を読み取ったかのように、オッサンが話し始める。
「S駅デパートの表面玄関付近で、カッターナイフを持った五十嵐さんと揉み合っているうちに、篠塚君は怪我。
大した傷じゃないからすぐに治ると思うけど、ただ何せ人通りの激しい場所だったからねぇ。君、この騒ぎのとき近くにいた?」
「いたと思います。入口んところで人だかりがあって、なんだろうって思ってました」
「直接、二人を見かけたりはしてない?人だかりを覗いたりは?」
「してません」
なるほどねぇ、とまたもや軽い返事。
世間話をしているような、それでいて根掘り葉掘り聞かれているような…どっちつかずの対応。
(掴みどころのねぇオッサンだなぁ)
大柄なのもあって…なんだろう、何かに似てる。
目は相変わらず厳しいが、口元は微笑をたたえたままだ。
こんな顔の神様、いたよな・・・なんていう名前だったっけ。
「ひとつ聞いていいかな?」
「はい」
「なんでそんなに冷たくしちゃったの?五十嵐さん。なかなかベッピンさんだったけどね」
口調も雰囲気も変わらないのに瞳だけがギロッ、と強くなる。
のらりくらりだった質問の内容が、どうやら確信方面に向かって進みだしているらしい。
「・・・最初、声をかけられたときから断っていました。
俺には、大事な彼女がいるんで。その子以外とどうこうなる気はありませんから」
通用するかどうかは分からないけど、俺には、のところを強調してみた。
「五十嵐さんもけっこうしつこくて断っても断っても・・・。しまいには研究室にまで来るようになって。
それでキツイことを言って廊下で泣かせてしまったんです。多分、それがよくなかったんだと思います。
他にちゃんと断る方法が見つからなくて、篠塚にも悪くて、悩んでいたところでした」
「ふんふん。青木くんからも聞いたよ。相当困っていたと」
「はい。困ってました」
それまで黙っていた隣の女刑事が、口を開いた。
「上手いことやろうとかは、考えなかった?」
「え?」
「上手く二人と付き合おう、とかは?」
突然の直球で、最初は意味が理解できなかったが。
「…いいえ。考えませんでした。今の彼女のこと、すごく大事なんで」
腹が立つというよりも質問に込められた敵意にビビって、ただそう言うだけに留めた。
(なんだこいつ。会ったことあったか?)
改めて顔をじっくり見てみたが、どこにでもいるような一重瞼の普通の女だった。
見覚えはねぇよなぁ…。
「でもあなた、大学生時代はかなり派手だったんじゃないの?」
「えぇ、まぁ」
「研究生になったからってそんなに突然、変われるもの?」
矢継ぎ早に飛んでくる質問という名の詰問に、謎はどんどん膨れ上がり。
「…あの」
「何?」
「俺、あなたに何かしましたか?」
「え」
「さっきからイヤなのがガンガン来るんですけど。言いたいことあるんだったら、言ってもらっていいですか?」
こういうのは、なるべく思ったときにはっきりさせておきたい性分だ。
けれど当然のごとく、相手がフリーズした。
応接室は一瞬、シン…と静まり。
「ぶっ。ははっ、ぶははははっ」
オッサンだけが大笑い。
「佐々木〜、お前もまだまだだなぁ。若造に一発で黙らされちゃって」
「仲山さんっ。笑いごとじゃありませんよっ。N大事件は…っ」
(N大?)
「ほらほら、興奮するなよ。内緒話が漏れてるぞ」
「からかわないでくださいっ!」
「N大ってあれっすか?"ワイフラ"の…」
「…いえっ、何でもありません」
真っ赤な顔をした女がそう言うと、オッサンはまた笑った。
「もうごまかせんだろうが。今更」
「しかしこれ以上はっ」
「いいじゃないか、なかなか伊藤君も察しがいいしこの際だからまとめて聞いてみよう。いいかな?」
「はい」
YYフラグメンツ。通称ワイフラ。
大学生時代たまにつるんで遊んでたことのあるN大の有名サークルだ。
半年ほど前、サークル内の女子たちを使って売春して儲けてたことがバレて大騒ぎになった。
「売春してたことは知ってた?」
「いえ、ニュースで知ってびっくりしました」
「兆候があったとか、そういうのもないかね?」
「はい。大学入って1、2年位はよく遊んでたけどそんときはそんなことなかったし。ただの飲みサー(飲み会サークル)だったんで」
「じゃあ、君は何も知らなかったし、売春にも関わってもいなかったんだね?」
「はい」
チラリと横を見ると、女刑事が俺たちのやり取りを恨めしげに黙って聞いている。
隣に座ってるんだから分かるだろうにそれを知らぬ顔で俺と話すオッサン刑事は、やっぱりプロなんだなと思った。
「俺。疑われてるんですか?」
「いやいや、そういうわけじゃないんだけど。調べてて名前が挙がってきたもんだからね。
それで今回の事もあるから、ちょっと深く突っ込んで聞いてみたくなってね」
「そうすか…」
とはいえ。
単純に旗色が悪いな、と思った。
俺がサークルで一緒に悪事を働いてた奴かも、と疑ってるから今回のことも俺が原因じゃないかって思ってるってことだろ。
「俺は、何にもしてませんよ。ワイフラの奴らとも何だかんだで気が合わなくなって遊ばなくなったし。
篠塚と五十嵐さんのことも…俺が悪いと思うのは、人前で泣かすくらい冷たくあしらってしまったことだけです」
「うん。青木君も君の事をすごく庇っていたよ。そんなことをする奴じゃない、って」
「ヒカルがですか?」
「君はいい友達を持ってるねぇ」
俺が来る前に、ヒカルが随分頑張ってくれたらしいことを知って俺は心からあいつに感謝した。
どおりでそそくさと退散したはずだ。
いつもより喋りすぎたから、後になって恥ずかしくなってきたんだろう。
「こちらもね、篠塚君と五十嵐さんの話をちゃんとまだ聞けていない状態だからね。
まぁでもどうも、君の言ってることのほうが正しいようだし。協力ありがとう、感謝するよ」
「はい」
"君の言ってることが正しい"と聞いて女刑事が目を剥いたが、オッサンは知らん顔だ。
「でも、女の子に冷たくしすぎちゃいけないよ、女は怖いよ?」
「そうですね・・・篠塚には本当に悪いことをしました」
「彼女はこのことは知っているのかい?仲山鞠さん、だよね」
鞠のことまで調べてるのか。
それともヒカルに聞いたのだろうか?
「いいえ。まったく話していません。…彼女も、事情を聞かれるんですか?」
「いや、関係がないのならそのままでもいいかなとは思ったんだけどね。関係はないんだね?」
「まったくありません。鞠は学校にはほとんど来たことないし・・・、心配させたくなくて最初からこのことは話していませんでした」
「そうか…分かった。それで安心したよ。じゃ研究に戻って」
ふくよかな顔は微笑んでいるとなんだか恵比須様のようだ。
そうだ!恵比須様に似てるんだ。
「はい、失礼しました」
俺は一礼して、部屋を出た。
篠塚大丈夫かな・・・連絡してみようか。
でも、俺から直接って気が引けるというか、何を話していいやら困るよな。
そう思いながら研究室に戻り、教授に全てを報告し母親からの菓子箱(走っているときに振り回したからきっと中身ぐちゃぐちゃだろうけど)も渡して安心させたところで、ヒカルの顔を見に行った。
「なぁ、篠塚に連絡したいんだけど」
「大和はしないほうがいいよ、俺もさっき電話してみたけど出ないし。学校来たときに話したら?」
ぼつぼつと、きっと他人が聞いたら抑揚の少ない感情の見えない声音で話すヒカル。
何事もなかったかのようなその対応に安堵する。
本当は、庇ってくれてありがとうとか言うべきなんだろうけど。
付き合いの長い俺たちにはそんな言葉は必要なかった。
ヒカルはそんなこと求めていないし、もし反対の立場だったとしても俺だって同じようにしただろう。
「そうだな。あ。鞠にメールしとこ、家帰ってるかなもう」
「…あぁ、それも大丈夫」
「へ?」
「さっきミーちゃんに連絡取ってもらって、無事家に帰ったってさ」
PCの画面を見つめたまま、いけしゃあしゃあとヒカルが言った。
「なんでお前が・・・」
「きっと大和はそれどころじゃなくなるだろうと思ったから」
「…っ!そ、それはアイツが送らなくていいって言うし、あとで電話したらいいかと思って」
なんでこいつはこんなに落ち着いてんだ?
なんで俺がこんな言い訳している風になるんだ?
「事情知らないんでしょ?ちょっと可哀想な気がしたから。ミーちゃんもちょうど暇だったみたいだし」
腹は立つが、言い訳しているみたいになるのは本意じゃない。
「・・・そりゃあ。気のきくことで」
ただやり場のない苛立ちを抑えながら俺は言った。
すると、ようやく画面から目を離しこちらに視線を向けてくる。
長くヒカルと付き合ってきた中で、あまり見たことのない表情をしている。
「また妬いてるの?」
「…!!」
「そんなことでいちいち妬いてたら持たないよ」
(なんだこいつ…っ。何だよその挑戦的な目っ)
「…お前、もしかしてさ…」
「冷蔵庫に缶コーヒー入ってる。走り通しで疲れたんじゃない?飲んでくれば?」
そう言うとヒカルはまたスッと視線を画面に戻し、キーボードを打ち出した。
(こいつ、もしかして。鞠のこと・・・)
その日の夜、大和は鞠に電話をした。
心配そうに事情を聞いてくる鞠を適当にかわし大丈夫だから、と言って電話を切った。
(隠し事はしたくないんだけど、こればっかりはな・・・)
鞠を傷つけたくなかった。
鞠のことだから、きっと自分のせいだと思って落ち込むに違いない。
次に会えるのは誕生日の前日の夜。
(あ〜、ピアス、あんまり見れなかったな)
休憩室でぼんやり脳みそを休めながら。
いつ付き合っていたかも忘れた昔の彼女にもらったまんま使っているボロボロの皮のキーチェーン。
指先でクルクル廻し、カチャン、と音を立てて手の中に納めた。
(そういや、やたらキーチェーンのこと聞いてきたよなぁ)
一生懸命こちらの好みを聞き出そうとしてくるのが面白くて、何にも気がつかないふりをしていた。
その時の真剣な瞳を思い出し、くす、と一人笑っているとたまたま食事を取りに入ってきた隣のゼミの生徒が、大和の顔をじっと見つめ。
「お前、さっき彼女としゃべったりしてた?」
「おぅ。そうだけど。何で?」
「超〜とろっとろ。優しい顔してっからさ」
(そっか、俺そんな顔してんのか)
「幸せなもんでね」
「言うねぇ。幸せついでにこのコンビニの焼きそばレンジでチンして」
「物のついでに俺を使いっぱにすんなよ」