昼過ぎ。
飯を食った後の、一番眠くなるような時間帯に教授が慌ただしく部屋に飛び込んできた。
「おい青木!伊藤はどこだ?」
教授に呼び出される確率NO.1の大和だからそれは割といつものこと、けれどそれにしては教授の慌てぶりが普通じゃない気がした。
「今日はお母さんが来るっていって迎えにいってますけど」
「あ〜〜っ、言ってたなぁそういや・・・」
無精ひげに手を当て、しまったなぁ、参ったなぁ・・・。などと口の中で呟いている。
「教授、なにかあったんですか?」
「笹川先生のところの篠塚知ってるか?」
「あ、はい。篠塚がどうしたんですか?」
「女の子に刺されたらしい」
「えっ?!」
瞬間、部屋内の空気が固まった。
その場にいた学生、研究生、院生の誰もが同じことを考えたに違いない。
それは俺も例外じゃなかった。
(まさか、あの子・・・?)
「その原因がどうやら伊藤らしくてな。事情聞きたいって警察が来てるんだけどアイツ連絡取れなくてなぁ〜…お前、何か知ってるか?」
大和が電話に出ないのは、きっと彼女と一緒にいるからだろう。
教授公認の休みだから、羽を伸ばしているに違いない。
「はい。たぶん、少しなら・・・」
俺が答えると、教授はホッとしたらしく「そうか!じゃあお前とりあえず警察に話してきてくれ!」
と言って俺に一階の応接室に行くよう命じた。
「はい・・・。あの、篠塚の具合は大丈夫なんですか?」
「あぁ、ケガは全然たいしたことないらしいが、何も話さないらしくてな」
「そうですか・・・」
俺は残り少なかった缶コーヒーを飲み干してゴミ箱にほおり込み、応接室へ向かった。
学校に警察が来ていて、大和とは連絡が取れない。篠塚も何も話さない、となると。
(俺がここで話すしかない、よな)
上手く話ができるか自信はない。
当事者でもないし、俺自身は恋愛経験にかなり乏しい。
ただ、他人だからこそ冷静に話ができる部分もきっとあるだろう。
(それに…)
学校に警察が来るほどの事となると、ちょっと心配な部分がある。
(予想が、当たらなきゃいいんだけどな)
そんなことを考えながら移動しているうちに応接室のドアの前に立っていた。
重厚感のあるダークブラウンの木目のドアをノックして、ノブをひねる。
カチャリ、と微かな金具の音。
「失礼します」
応接室に入ると、そこにはスーツを着た2人がいた。
一人は30代くらいの女の人、もう一人は目つきの鋭いいかにも刑事、といった感じの体格のいいおじさん。
取り調べに来たという様子ではなく、休憩中のようにゆったりとお茶を飲んでいた。
ヒカルが軽く頭を下げると、おじさんのほうが「どうもどうも」と人懐こい笑みを見せた。
「僕は仲山です、こっちは佐々木です」
柔らかな口調。
けれど仔細にこちらを観察しているような強い目つきに少し怯えた。
「さっき教授から連絡があった、青木くん・・・かな?」
「はい」
「ごめんね、来てもらって。何か事情を知ってるということで、それを聞かせてもらえないかな?」
「はい・・・」
俺は、五十嵐さんのことと、これまでゼミ界隈であった騒ぎなどを話した。
大和と篠塚との関係も、俺が語れることは話した。
「これが、関係してるのかなっては思うんですが…」
緊張しながら一気に話して喉が渇き、目の前のお茶を一気に飲み干す。
だいぶ前に出してもらっていたらしく生ぬるいお茶の味が口の中に広がって浸みわたる。
「ふぅん、そうか。そういうことがねぇ」
俺の話を聞いても、さして態度も感情の変化も見せないまま、刑事が頷いた。
そして、しばしの沈黙。
「う〜ん・・・・・」
その間ずっと、鋭い視線が俺の顔あたりを彷徨っている。
心の中に悪い感情がなくても、やはり少し怖い。
何もかもを話してしまいそうな威圧感に押されそうになり、思わず声をかけていた。
「…あの」
「ん?」
「いったいどういうことがあったのか、教えていただけませんか?」
途端、それまで押し黙っていた隣の女性刑事が「仲山さん」と釘を刺すように言う。
聞いちゃまずいことを聞いたのだろうか。
「君は、篠塚君の友達?伊藤君の友達?」
「両方です。篠塚とはゼミが隣で趣味も合うのでよく話します。大和…いや、伊藤くんは幼馴染で、今は一緒に暮らしています」
「ふぅん、そっか。そりゃあ気になるよね」
仲山刑事、がふんふん頷き、今度は隣の女性刑事に向かって砕けた様子で話しかけた。
「佐々木くん。いいだろ別に話しても?全部教えないなんてちょっと可哀想だし」
それからまた、こちらを見つめてきた。
「君はじゃあ、こんなことが起こる前から二人に話を聞いていたんだよね?」
「はい、聞いてました。五十嵐さんのことはあまり知らなかったですけど」
俺は、直接五十嵐さんに関わったりはしなかった。
けれど篠塚からも大和からも話を聞いていた。
二人がまた普通に話ができるように、そう願って努力しているつもりだった。
けれど結果こうなってしまい、俺は自分がもっと何かできたんじゃないか、という自己嫌悪に陥っていた。
もっと踏み込んで話をしていればよかったんじゃないか、と。
「…俺がもっとちゃんと聞いてればって、今は思ってます」
悔し紛れにこぼれただけの独り言を仲山刑事は「そうか」と優しく拾い上げてくれた。
佐々木、と呼ばれた女性刑事はまたもや黙りこむ。一緒に仕事をしているというよりも、監視役として隣にいるような感じだ。
年齢からすると仲山刑事のほうが先輩のようだけど…実は立場が違うんだろうか。
「S駅のデパートでね。女の子・・・五十嵐さんがカッターナイフを持っているのを篠塚くんが取り上げようとして、
もみ合っているうちに腕を切ったらしい。人の多い場所だったからね。すぐ通報があって駆けつけたんだけれど」
「S駅・・・もしかして」
俺からまたこぼれた言葉を、相手は見逃さなかった。
「心当たりがあるかい?」
物腰は柔らかいままなのに、切り込みは鋭い。
「大和、今日実家からお母さんが来ていてその駅に迎えにいってるんです、付き合っている彼女と一緒に。だからもしかしたら・・・」
「そこで偶然かどうかは分からないけど、五十嵐さんと会ったんじゃないかと?」
「はい」
まるで、俺と刑事さん二人で謎を解いているような、そんな気にさせられる話しぶり。
こういうのも刑事の手口というやつなのか、それともこの仲山刑事の素なのか。
とにかく、この刑事さんはどこか憎めない。
嘘をつこうと思ってもつけない、何でも話してしまいそうな懐の深さがある。
「伊藤くんから連絡は?」
「今、教授が連絡を取ってくれていると思います」
「ところで教授に聞いたけど、伊藤くんは相当女の子にモテるらしいね?そっち方面にやんちゃだったと?」
「あ・・・はい。でも昔のことです」
「けれど五十嵐さんがひとめぼれするほどだろ?何か特別なことをしたんじゃないのかな?彼女がそうなってしまうほど」
(やっぱり…)
応接室に来る途中、痴情沙汰となると大和のほうが分が悪いんじゃないか、なんてちょっと思っていたけれど。
読みが当たってもこれほど嬉しくないとは。
「いいえ。それはないと思います」
「どうして?」
「今の彼女と、真剣に付き合っているからです。
・・・こんなことは言いたくありませんけど、五十嵐さんは大和が断っても断ってもずっとつきまとっていました。
関係ない研究室にまでおしかけてくるほどで・・・大和はかなり迷惑そうでした」
たぶん今の時点で、事情を知っていて大和をフォロー出来るのは俺だけだ。
俺は、知らず知らず腹に力を込めて話していた。
「それは、研究室のみんなも知っていることだと思います。
それに大和も篠塚に気を使っていて、どうしたらいいのか悩んでいました。
けれどそれ以上に五十嵐さんの勢いがすごくて・・・
あと大和自身も思い込んだら強いタイプなので、彼女のことを思ってずっと断り続けていました」
仲山刑事さんはふんふんと真面目にこちらの話を聞いてくれていた。
馬鹿にされるのではないかと内心危惧していたが、その誠実な対応に少し安心した。
「なるほど・・・」
仲山刑事は隣の佐々木刑事と目で合図しあう。どうしようか、と相談しているようだった。
佐々木刑事は軽く咳払いをした後、初めて俺のほうをまっすぐ見据えてくる。
それまで印象の薄い感じだったのが、目が合ったことでようやく顔を見ることができた。
無造作に結ばれた長い髪に、切れ長の目。
「この話は、ここだけ、ということでお願いしたいんですが、約束願えますか?」
「はい…」
抑揚のない声で、女性らしさは少ない。
「4か月前、N大学で起きた事件をご存じですか?サークル活動と称して学生の女の子を騙して売春活動をさせていた事件です」
「あ、はい…知っています。ニュースでもやってましたし」
「そのサークルに関わった全ての学生さんたちを、今、少しづつ調べていまして。
調べている中に伊藤さんのお名前も出てきたんです」
「え…」
「伊藤さんはそんなことをされてなかったことは分かっています、ただ主犯の学生たちとお付き合いがあったようなので」
その件についても少しお聞きしたくて、仲山刑事に無理言ってこちらに寄せていただきました」
「そう、なんですか…」
その事件は一時、全国ニュースでも取り上げられるほど話題になった。
その上N大は俺らの大学とも割と近くでサークルだけでなく研究活動でもたびたび交流することがある。
幅広い交友関係を持つ大和だから、そのあたりと付き合いがあってもおかしくないとは思うが…
「俺は、大和を知っていますが。むしろそういうことが分かったら注意してやめさせるほうです。
身内贔屓と取られるかもしれませんが、あいつは無理に女の子をどうこうするようなやつではないですよ」
「今の彼女を、大切にしてると言ってたね」
仲山刑事がふいに参加してきた。
「はい。あいつも進路のことで色々あって、今はかなり真面目に頑張ってます」
「うむ…」
「今回のことは、僕が知っていることしかお話しできませんけど。
僕からするとむしろ大和のほうが巻き込まれているように感じています」
「そうかぁ・・・」
仲山刑事は何故か安堵したような、大きなため息をついた。
「ありがとう、よく分かったよ。時間を取らせてしまって申し訳なかったね」
「いいえ」
俺がそう言って席を立とうとした瞬間、バーン!と勢いよく応接室のドアが開いた。
「遅くなりました!伊藤大和です!!」
一体どこから走ってきたのか、額に汗を滲ませて荒い息の大和がそこにいた。
さすがの仲山刑事も驚いた様子でいる。
大和は俺がいることに気付き「ヒカル、すまん!」と手を合わせてきた。
「おぉ、伊藤君か。すまないね、せっかく休んでいるときに」
「いえっ。失礼します」
頭を下げるとずかずかずか、と登場そのままの勢いで入ってきて俺の隣にどかっと座った。
「えーと、じゃあ、僕は失礼します」
当事者が現れたことだし、俺はそそくさとその場を退散することにした。
(仲山さん、大丈夫かな・・・)
あの様子じゃ事情をちゃんと説明してもらえてるとは思えない。
大和はいつも、説明より行動が先に立ってしまうからな。
研究室に戻った後、俺はだいぶ悩み・・・ミーちゃんにメールをした。