※この話には女性にとって辛い表現があります。物語上必要な部分として描いていますので、心して読んでいただきたいと思います。
「意味が、分かんないよ・・・どういうこと?」
篠塚くんの前の彼女が、なんで大和と?
困惑するだけの鞠に
「…とりあえず…。落ち着いて、最後まで聞いてくれる?」
冷静なヒカルの態度が、逆に鞠を不安にさせる。
感情が見えないのは…抑えてるから?何で?
「鞠ちゃんには、話してなかったんだけど…」
そう話しかけて眼鏡を指先で押さえる。
(あ…)
その指先がほんの微かに震えた気がした。
そう思ってから改めて見れば、レンズの奥の瞳が不安げに曇ってみえる。
ちっとも冷静なんかじゃない。いつだってヒカルは正直だ。
何かが。自分の知らないうちに起こっていたんだ。
それもすごく悪いことが。
何を話されるのか。鞠はただ、怯えた。
ヒカルが話すことをまとめ、けれど話すことをためらう。
意図せず作られた短い間に、鞠は様々な"悪いこと"を想像した。
「篠塚とその彼女が別れたのは、彼女が大和に一目ぼれをしたからだったんだ」
「・・・え・・・」
「彼女、結構しつこく大和に言い寄ってて。それで篠塚と大和の間もギクシャクしてたくらいで」
(じゃあ、あの女の子と大和は…そういう関係、だった?)
大和に、裏切られていたかもしれない。
そう思っただけで、勝手に涙が溢れた。
「違うよ、鞠ちゃん。違う」
苦々しく、ヒカルが首を横に振った。
「大和はまったく相手にしてなかったよ。それは俺だけじゃなくて篠塚も周りもみんな知ってることだから」
「…じゃあ。何で・・・」
キス、してたの?
鞠の声にならない疑問。それを苦しそうな表情で受けるヒカル。
「・・・何でそんなことしてたかは、俺も分からないんだ。ごめん。でも」
言葉をいったん区切り、ヒカルは息をついた。
初めて、目が合う。
真剣な眼差しが鞠に注がれる。
「でも、大和が喜んでそれをしていたとはどうしても思えないんだ」
「・・・」
「言い寄られているときからずっと、大和は鞠ちゃんが心配するから言いたくないって。篠塚がケガしたときも・・・」
「それも…関係があるの?」
「・・・たまたま大和と鞠ちゃんが二人で歩いてるところに篠塚とその子が出くわしたらしいんだ。
それで・・・カッとなったその子が鞠ちゃんを刺そうとしたらしくて・・・それを止めに入った篠塚がケガを・・・」
言い辛そうに、途切れ途切れに話すヒカルを見ながら鞠は薄れていた記憶の中からあることを思い出していた。
大和と会ったあの日、デパートの入り口にちょっとした人だかりができていた。
気になるなら覗いていこうか、と言った大和に鞠はいいと言ってすぐにその場を去ったけれど、まさかあれが・・・?
(あぁ、だから…)
「だから大和も呼び戻されたんだ…」
誰に言うわけでもなく呟いていた。
それまでぼんやりと疑問に思っていた事が、はっきりとしていく。
いつのまにか鞠は両手で自分の顔を覆っていた。
「俺がいくら言っても信じてもらえないかもしれないけど、本当に大和は鞠ちゃんのこと真剣で・・・」
疑いたくはない。
鞠だって、大和を信じたい。
けれどこの目でみたものはもう消えない。辛い。苦しい。
「そんな、そんな簡単に…人って変わる?」
どうして、こんなことを聞いてるんだろう。
こんなこと、本当は大和に聞くべきことなのに…。
「今は、ないよ。鞠ちゃん以外はあいつは目もくれなかった」
「けど・・・」
「信じてやって。あいつは本当に、鞠ちゃんだけなんだ」
ヒカルの低い声が、遠くに聞こえる。
この状態に戸惑って、困って、それでも大和を擁護する姿勢だけは崩さないヒカル。
鞠の目からは涙がまたひとりでにこぼれる。
「…電話、鳴ってるよ」
鞄から携帯を出そうともしない鞠に、相手がわかったのだろう。ヒカルは言った。
「鞠ちゃん、出たほうがいい」
「…」
分かってる。
このまま出ないでいても、何も解決しない。
ただ、結果を見るのが怖いだけだって。分かってる。
「鞠ちゃん、お願いだ、出てやって」
促され、おそるおそる鞄から携帯を探ると同時に、着信音が止まる。
「あ…」
鞠はヒカルを見上げた。ヒカルはただ、頷くだけだった。
その面持ちに押し出され、鞠は着信画面を表示する。
着信 伊藤大和
ずらりと並ぶその名前にまた涙が溢れた。
「ちゃんと話したほうがいいよ。大和を信じてやって」
感覚の無い指先で、発信ボタンを押した。
1コールもなく、大和の声が受話器から飛び出してくる。
「もしもしぃ?!お前どこにいんの?俺もう時間がヤバいんだけど!」
「・・・部屋・・・ヒカルくんと」
「はぁ???なぜ部屋?なぜヒカル??」
一つ、息を吐いた。
横でヒカルが何も言わずただじっと鞠を見つめている。
「あ、の・・・・・・見、たの」
喉の、奥の奥から声を引っ張り出すようだった。
息が苦しい。
隣で、ただ黙ってヒカルは苦しそうに俯いていた。
「きす、してた…大和・・・が。知らない子、だった」
苦しくて、ただ苦しくてそう言うのが精一杯だった。
けれど受話器の向こうで、大和が息を飲むのが分かった。
(本当なんだ・・・見間違いじゃ、ないんだ)
「あの子・・・は、篠塚くんの彼女だった人?」
「お前、何でそれ知って・・・」
「ヒカルくんに聞いたの。全部」
「なんでヒカルがそこにいんだよ?!」
疑問と、嫉妬と怒気が混じった声。
「たまたま、電話もらって・・・」
「お前なんで俺の電話には出ないのにヒカルのには出るんだよ?!」
大和からの着信音が何度か続いてあった後、ふいに普通の着信音が鳴った。
店長からかもしれない。ミーちゃんからかもしれない。
大和以外の人からの着信は限られた人からだけだったから、それを拒否してしまうのはためらわれて画面を確認したらヒカルだった。
「だって、キスしてたから!」
どうしていいか分からなくなっていた鞠は、それにすがるしかなくなっていた。
知らず知らずに語気が強くなる。
「違う!あいつがキスしてくれたら俺のこと諦めるっていったから!だから・・・」
そのとき後ろから「お〜い伊藤、始まるぞぉ!」と声がし、舌打ちをした大和が「今行く!」とやけくそな返事をしているのが聞こえた。
「鞠・・・悪ぃ。…行くわ」
くそっ…と呟かれたあとの、重い溜息。
「うん…」
このままで終わってしまってはいけない。
けれど大和がすべての時間を削り今日の為に頑張ってきたことを、無駄にするわけにはいかない。
「夜電話する。いや・・・明日会おう!夜空いてるか?」
「・・・空いてる」
「じゃ明日!あぁ…ヒカルにもそろそろ戻らないとヤバイって言って、じゃあ」
電話は呆気ないほどすぐに切れた。声を聴いたことで、現実に引き戻された感覚。
大和の子の切り替えの早さが、今は恨めしい。
「…ヒカルくん、そろそろ学校戻らないと、始まるって・・・」
だけど…さっきよりも落ち着いている自分がそこにはいた。
「鞠ちゃんは平気なの?」
「うん・・・平気。明日、会うことになったからそのとき話すし、聞くよ。ヒカルくんは学校戻って。大丈夫だから」
「わかった」
(もし、これが浮気なのだとしたら大和はあんな風に電話をかけてはこない)
起きてしまったことはショックなことばかりだったけれど、けれど…。
「ありがとう、ヒカルくんがいなかったら、こんな風に落ち着いていられなかった・・・」
「・・・俺に、できることなら何でもするから。また話はいつでも聞くよ」
「うん」
心優しいヒカルが心配そうにこちらを見つめる瞳を見て、泣きそうになってしまう。
そんな姿を見せないよう、これ以上心配させることのないようにすぐに家に帰った。
家に帰ると、母親に病院はどうだったかと聞かれたが
「定休日だったよ、休みとって今度行く」
そう、答えた。
まだ言わないほうがいい、そんな気がした。
下腹部の痛みが続いていた。
その痛みは下痢のように一定の周期で訪れ、どんどんただの痛みから鈍痛へと変わっていった。
ワケがわからないままトイレに入り、下着をおろし便座に座った瞬間便器の中は赤い血で染まりそれでもとどまることがなく流れ出す。
(これ・・・もしかして・・・)
病院に電話しなくては、そう思っても流れ出すものは止まらず、動くこともできずにただそこで悲しすぎる事実を迎えることしかできなかった。