鞠 22
「横の画面見てください。丸い影、見えますか?」
「あ、はい・・・」
「中のこれ、白い部分が赤ちゃんだよ。もう12週目に入るくらい、3ヶ月ってところかな」
白いカーテンの向こうからそう言われて、目の前が一瞬白くなった。
(あ、かちゃん…)
驚き過ぎ黙ってしまった鞠をサポートするかのように、隣にいた看護師さんが声をかけてくれる。
「大丈夫?とりあえず診察室戻りましょうか?」
ふらふらする身体を支えてもらいながら、どうにか服を着て診察室に戻った。
「落ち着いた?話は、出来るかな?」
声が上手く出ない。
首を縦に振って、どうにか返事をした。
穏やかな物腰の先生は、そんな鞠を見つめながら聞いてきた。
「君はまだ未婚かな?」
「はい・・・」
「相手の男の子とは、お付き合いは長いのかな?今日来ることは話してある?」
鞠のような患者さんは多いのだろうか、先生の聞き方はあくまで優しい。
責められないことに、気持ちがだんだん落ち着いてくる。
「まだ、知りません・・・しばらく、会えてなくて」
「そうか」
そこで初めて、一枚の写真を差し出される。
さっきパソコンのような画面で見た、白くて丸い影。
「これは、君に」
「…」
そっと、まるで壊れ物のようにその写真を受取った。
「一度。その彼やご両親と話し合ってきてほしいな。大事な命、いい形で産めるようにしてほしいから」
「・・・はい・・・」
「自転車には乗らないほうがいいよ、気をつけて帰って」
受付でお金を払い、驚きすぎて自転車をこぐ力もなく、ひきながらトボトボ歩いた。
(私のおなかの中に、大和の赤ちゃん・・・)
まさか、妊娠してたなんて。
けれど…心当たりはある。
このところたくさん食べると吐き気がする。少しづつじゃないと胃に入らない。
姉が妊娠していたときに同じようなことを言って小さなおにぎりをいくつも母親が作っていたことを、鞠は思い出していた。
(大和に、言わなきゃ)
両親よりも、誰よりも先に。
大和はきっと喜んでくれる。がんばろうって、言ってくれる。
震える指で着信履歴の中から大和の名前を探し出す。ボタンを押す。
プップップッ・・・
呼び出し音がもどかしい。
『……だいま、電波の届かないところにいるか、電源が入っていないため・・・』
(今日は発表をするとか言ってたし、とりあえず大学まで行ってみよう。ここから近いし)
今度はメール画面を開く。
気ばかりが焦って上手く変換ができない。
大和・・・赤ちゃんができたよ。
3ヶ月だって。
今から会えますか?
とりあえず、大学まで行きます
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そうした後で、自転車に乗り大学へと向かう。
大学の近くまで来たところに電話が鳴った。着信音を変えてあるのですぐわかる。
(大和…っ)
慌てて自転車から降り鞄から携帯を探る。
「はい、もしもしっ」
「もしもし?!鞠??マジ??!」
電話に出た途端覆いかぶさる勢いで大和の声が響いた。
「うん・・・今、病院行ってきたの」
「今どこにいんのっ?」
「大学の、近く…」
大和の勢いがすごすぎてそれまで興奮していたのも忘れ押され気味に返答する鞠に、気付くこともなくまくしたてる。
「正門で待ってて!とりあえず会おうっ」
「うん」
「鞠、ごめんっ」
「えっ…」
(ごめんってなに?)
心にぽつんと黒い不安がよぎったが、それはすぐに拭きとられた。
「専門学校、おあずけな!先に結婚しよっ!」
「…うん・・・っ!」
電話を切ったあと、鞠は幸せな気持ちでいっぱいになった。
(よかった。大和がいてくれて、よかった・・・)
自転車を降りて、大学までの道を歩き出す。
一歩、一歩。
まるでバージンロードを歩くようなそんな気持ちだった。
横断歩道の手前、信号が赤になりふと見ると、構内から大和が歩いてくるのが見えた。
黒っぽいキャップにジーンズ。
鞠はその姿に向かって手を振ったが、その前に違う人から声をかけられたみたいで、大和はそちらのほうを向いた。
大和に、髪の長い女の子が近寄ってきた。
顔は見えないが、背が高くてふわふわしたスカートをはいている。
何か話しているようだった。
それに大和がすごく嫌そうな顔をして返事をしている。
(同じ研究室の子なのかな・・・)
女の子は何かをせがんでいるように、鞠には見えた。
それから、渋い顔をして話を聞いていた大和は女の子の肩をつかんで・・・女の子にキスをした。
(え…)
鞠はそれを交差点の向こう側から見ていた。
話している内容は分からない、けれどキスをしたその瞬間だけ時計が止まったかのようにゆっくり進んで見えた。
大和は唇を離した後、女の子を突き放すように来た方向へ戻っていってしまった。
(大和・・・)
動けない。
ここにいるよ、と行きたい。でも、怖い。行きたくない。
足が地面に突き刺さったようになっている。
(今のはなに・・・今のは・・・何?)
女の子が鞠のほうに視線を向けた。
離れた交差点からただ見つめている鞠を一瞬いぶかしげに見つめた後、ハッとした顔をした。
そして・・・目を伏せ、大和とは違う方向へ去っていった。
(・・・・・・)
鞠も歩き出した。大学とは反対の方向に。
自転車を引き、トボトボとあてもなく歩き出す。
(大和、なんで、キスしてたの?あの子は・・・だれ?)
そんな疑問だけが頭をグルグルまわる。
鞠が一番だと言ってくれていた大和の笑顔が、今は思い浮かべるだけで苦しくて胸を締め付ける。
―…全部、嘘だったの?
何度か大和からの着信をしめす音が聞こえたが、鞠はそれを取ることはなかった。取ることができなかった。
気がつくと見慣れたアパートの前で、鞠は入り口へ向かう階段のところでうずくまった。
(おなか、痛い・・・)
でもそれ以上にショックで、涙が溢れた。
そのとき、また携帯から着信音が鳴り響いた。
大和からではない人を示す音。
少し迷ったが、携帯を開く。
画面には「ヒカルくん」と表示されていた。
たまらず鞠は通話ボタンを押した。
「はい」
「・・・あ、鞠ちゃん?」
「ヒカルくん・・・?」
受話器の向こうから、こわばったヒカルの声がする。
「うん・・・あの、あの俺・・・」
もうたまらなかった。とにかく、誰かにいてほしかった。
「助けて・・・」
「へっ?」
「ヒカルくん、助けて・・・」
やっと出た声が、言葉はそれだった。
「・・・どうしたの?何があったの?どこにいるの?」
「部屋の、前」
それだけ言うのが精いっぱいで、鞠は黙りこむ。
ヒカルもまた、それ以上は何も聞いてこなかった。
「とりあえず、行くよ。そこにいて」
「うん・・・」
少しして、気がつくとヒカルくんが目の前に立っていた。
「鞠、ちゃん?ど、どうしたの?」
鞠の泣き顔を見て驚いているヒカル。
「何があったの?大和となにか…?」
「…」
見たことを、正直に話した。
ヒカルは最初見間違いじゃないのか、と言ったが鞠の言うことが間違っていないようだと分かると、とりあえず部屋に入るよう勧めてくれた。
その間も大和から着信があったが、鞠は決してとろうとしなかった。
部屋に入り鞠を座らせ、ヒカルはその目の前に座った。
そしてしばらく考えていたようだが、少し決心したように鞠に聞いてきた。
「鞠ちゃん・・・その女の子、髪長かった?」
「うん・・・」
「背も高いほうじゃなかった?」
鞠は驚いて「・・・ヒカルくん、知ってるの?」と聞き返した。
ヒカルは「・・・多分」と前起きしたあと、
「鞠ちゃん、その子はきっと・・・篠塚の元カノだ」
と言った。
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