大学から家までは自転車で5分ほどの距離だ。
帰ってきてすぐ大和の青いX-TRAILが目に付いたものの、気にしないようにして階段を上った。
作りは古い、けれど頑丈そうな鉄筋5階建てのアパート。2LDK。
大和が居候していても不便を感じない程度の広めの間取りで、元々は家族向けだったのを老朽化したから家賃を下げて学生にも貸すようになったところだ。
俺と大和が住んでいる部屋は3階でエレベーターはない。
コンクリの階段は夜になったからかひんやりしていて、ペタ、ペタ、とサンダル履きの足音だけが夜に響いた。
部屋の前に立つと何か声がしたように思ったが、バレないようゆっくりと静かにドアを開けた。
その瞬間どうみても女の子にしか見えない小柄な姿が目に入り、一瞬で我を失った。
先輩に告られていたときに見たのと、同じ背中。
(マジ・・・?本当に連れてきちゃったのかよ・・・)
驚きついでに肩にかけていたカバンを落とし、玄関に積んであった大和の靴箱の山を崩した。
バタバタン!と豪快な音がしビックリした二つの顔がこっちにふり向いた。
「あれ、何だよヒカルちゃん。 今日は研究室泊まりじゃなかったのかよ〜?」
「あ・・・うん。 ちょっと・・・、忘れもん」
マンガを取りにきたとは言えず、ヒカルはもごもごと口ごもった。
「そ。あ、昨日話しただろ? 仲山さん。会ったことあんだろ?」
「・・・うん」
(ヒカル"ちゃん"なんて普段呼びもしないくせに・・・)
上機嫌な大和に心の中で1人ごちながら俺はチラリと彼女のほうを見た。
自分の部屋に(実際は大和の部屋に行く途中だけれど)彼女が立っているなんて、想像もしていなかった。
清廉な仲山さんの姿のバックに、薄汚い自分の部屋。
・・・なんて最悪な組み合わせ。普段からキチンと片付けておけばよかったと後悔しても遅い。
彼女は軽く会釈をしたように見えた。
けれどドキドキしそうになって慌てて目をそらし、部屋に上がってマンガやカモフラージュになる資料や書類を探すことにした。
「仲山さん、見たことない〜?こいつ」
「えっと・・・ そういえば、すれ違ったことあるかも」
「おー、ヒカルちゃん覚えてるなんて、すごい記憶力」
(意外に簡単にホイホイついてきちゃうんだな・・・)
彼女だけは違うかも。
そう、どこかで神聖化していた自分を恥ずかしく思いながら手近な私物の山を漁る。
そのときだった。
「い・・・一緒に見ませんかっ???」
「へぇっ?」
大和の、どっから出たんだ?と思うような高い声を聞いてゆっくり顔を上げると彼女がまっすぐこっちを見ていた。
「あのっ。『ターミナル』って知ってますか? トム・ハンクスの。 今から見るんです! 見ませんか?一緒に!」
(え・・・)
「オレ・・・?」
ビックリして声があまり出ず、自分で自分を指差すマヌケな返答。
でも仲山さんはそれに構うこともなく、早口で続けた。
「はい! 一緒に見ませんかっ???」
(あれ・・・?)
彼女の必死な目にまず引っかかった。 引っかかり、
「な〜に言ってるのよ仲山さ〜ん、こいつ院生よ?忙しいのよ?」
とあわてて間に入ってきた大和を遮り、思わず「いいよ」と言ってしまった。
「えーーーーーー?!お前何言っちゃってるの??ハッキリ言って、じゃ・・・、いや、忙しいだろ!おまえはよ!」
仲山さんからは死角の場所で、
明らかに(お前〜〜〜!!何でそんなこと言うんだよ???出てけよっ!!)とにらみ付けてくる大和。
いや、でも、たぶん・・・
「・・・大和、おまえだって忙しい身分だろ。
仕送りないし、いくら院生とは違うからって教授が認めてくんなきゃ研究生だって卒業できないんだし。
女の子とビデオ見てる場合じゃないだろ?」
「だ、だからそれは昨日言ったじゃん!俺が仲山さんのことずっと気になってたって話、したろ??」
痛い所をつかれ、目の前に本人がいるのに昨日の話を始めようとしている大和に言うでもなく俺は呟いていた。
「・・・その仲山さんがビビってんじゃん」
「へ?」
大和には聞こえなかったようだ。
それは俺自身もビックリするくらいの、小さい声しか出なかったからだった。
彼女から目をそらしてしまい自分が感じたことに一瞬、自信がなくなったからだ。
「ヒカル、ぼそぼそ言ってちゃわかんねーよ! ハッキリ言えや!」
「うるせー・・・」
けど少し勇気をだして仲山さんをまっすぐ見ると、それはちゃんと確信に変わった。
(怖がってるじゃないか・・・)
仲山さんはビビっていた。
なんでここまで来ちゃったんだろうって顔をしていた。そういう気持ちがビシビシ伝わってきた。
あぁ、だから俺に声をかけたんだ。 大和と二人きりになりたくないんだ。
俺は、脳みそ内の仲山さん情報を必死でかき集めた。
前に店長が、結構親がうるさいからバイトでもちゃんと時間通りに帰さないと大変なんだって言ってたことがあった。
確か住んでるところは△町だった。
前に店長の仕事を手伝ったときについ、履歴書をチラっと見てしまった。
ここからだとチャリで30分はかかる。そして、この状況で大和が家まで彼女をキチンと送り届ける見込みは少ない。
部屋の時計が9時20分を過ぎるのを見た。
そして声が小さくなりすぎないように、震えたりとかしないように気をつけながら、彼女に声をかけた。
「家、大丈夫? 厳しいんじゃないの?」
「あ・・・うん10時には帰らないと・・・」
ヒカルに話しかけられ、仲山さんは飛び上がるようにしてこちらをまっすぐ見た。
話すのは初めてだったが、可愛い高い声で緊張しながらも質問に答えてくれた。
10時って、やっぱり門限あるんじゃないか。
ヒカルは少し非難するように大和を見ると、ついっとそ知らぬ方向を向いた。
知ってて振り回したんだな。ったく・・・。
「じゃあもう帰ったほうがいいんじゃない? ここからちょっとかかるよ、家までは」
「そうなの?」
「うん」
「ヒカル・・・邪魔すんなよぉ」
恨めしそうな大和の言うことは完全に無視。
口説くにしたって、最初から門限破らせるなんて俺からしたら無責任すぎる。
そんなんじゃ、彼女が可哀想だ。
「ここのアパート右に出て、まっすぐ行けば○○(バイト先)のある大通りに出るから・・・」
そう話しながら(帰りなよ、帰りな)と心の中で言ってみた。
こんな暗に含めた会話は今までやったことがなかったが、伝わったようだった。
彼女はようやくホッとしたような顔になった。
キレイな二重の大きい瞳が感謝の気持ちとともに再びこちらに向けられて、ドギマギして目を反らした。
「伊藤くん、私やっぱり帰る。今日は本当にありがとう! 楽しかった!」
「え?! そんなぁ仲山さぁん!!」
大和の情けない声が小汚い部屋に響く中、彼女はぴょこぴょこ、とうさぎのように部屋を飛び出して去っていった。
ヒカルの横を通り過ぎるときにいかにも女の子らしい、いい香りだけを残して・・・。
ふぅ・・・とため息をついた瞬間、
「ヒ〜〜〜カ〜〜〜ル〜〜〜!!! テメエなんてことすんだよ! もうちょっとだったのに・・・」
大和が本性丸出しにして恨み言をぶつけてきた。
「だって、どう見てもイヤがってたよ・・・」
「バーカ! いやよいやよも好きのうちなの! あぁいうのは強引に押し切るのが一番なんだって!」
「でも、ビビってたよ」
「だ、か、ら!」
「俺に『助けて!』って来てる感じだったし・・・」
あんな瞳を向けられては、例え彼女以外の子でも同じことをしただろう。
そう言うと、無茶をしているという自覚はあったのか渋々ながら大和も同意した。
「・・・ま、それは認める」
「うん」
「ってゆーか、お前、何故あの子の家の門限が厳しいのを知ってる??」
(ギク・・・)
「あ、いや・・・見たら、思い出したんだ。 バイトで有名な子だったよ、可愛いって」
「へー、お前実は狙ってたんじゃないのか?」
「そっそんなことねーよっ」
・・・すっごい分かりやすく否定してしまった・・・。
これじゃそうでしたと言ってるようなもんじゃないか。
でも、別に狙ってたわけじゃない。ちょっといいなって思ってただけなんだから、別に間違ってはいない。
けれど大和はニヤニヤして近づいてきて、かがんでいる俺の頭をグリグリしてきた。
「な〜んだお前、女には興味ないって顔してて。 ちゃんと目はつけてるんじゃん」
「だから、そんなんじゃねーって!」
「まぁ、あの子は可愛いから誰でもいいって思うよなぁそりゃ。なぁ、やっぱ他にもいんの?狙ってる奴」
「・・・あぁ、誘ってる人いたけどガードが堅いって・・・」
「へ〜、そりゃ押しが弱いんだな、みんな」
「・・・」
それは、そうかもしれないけど・・・。
けれど大和ほど"狙った獲物は逃さない"やつも珍しいと思う。
そう言うと大和はヘへっと得意げに笑った。誉められたと思ったみたいだ。
「な〜んかでも、ホントにガードは堅いのな。 初デートだって言ってたし」
「初デート?」
「ぉぅ、俺が、人生で初のデートの相手!二十歳でそれってちょっと遅いよな〜。 ってお前のほうが遅いけどな」
「うるせぇよ」
万年童貞の俺のことを、ちょいちょいこんな風に大和はからかう。
「そういう男も今までいなかった。って〜ことは処女ってことだろ? そう思わね?」
「・・・まぁ、普通に考えればそうだろうね」
「あ〜〜〜、返す返すも惜しいことした・・・くそ、お前のせいだからな! 初めての相手も俺になるところだったのに!」
「イヤがってたけど?」
「そこを押し切るのがいいんじゃん!」
「・・・襲うってこと?」
まさか大和がそんなことをするはずはないと思いながらも、つい聞いてしまう。
そして案の定「へ?」と言った後、カラカラと俺の杞憂を笑い飛ばす大和。
「ちげーよ、テクの見せ場だってこと!」
「・・・」
今すぐそこまでどうにかできるほど仲山さんはガード緩くないだろう、と思ったが。
大和にかかってしまうとそこまで言い切れないのも事実だ・・・。
今まで聞いてきた武勇伝の数々を思い出し、ヒカルが溜め息をつきそうになっていると。
「それに、ちょっと、いい」
急に真面目な顔になった大和がそう言った。
「え?」
「こっちの話ちゃんと聞くし、素直だし、すれてなくて、いい」
――・・・確かに。仲山さんはいい子だ。
一緒に仕事をしたことも会話をしたこともなかったけれど、夜、ヒカルが仕事に入ったときにそれは現れていた。
いつでも大体キッチリ返却コーナーは片付いていて、レジ前もどことなく作業しやすく整理されていたりする。
それをやっているのが彼女だということは、シフトを見ればすぐに分かった。
彼女が休みを取る火曜日は、返却カウンターはどうにか片付いているものの、
レジ前はボールペンやCDを入れる袋が散乱し、微妙に仕事がやりにくいのだ。
そしてそれは俺があのバイトを辞める最後の日まで、ずっとそうだったのだ。
そしてもう一つ思うことは。
やっぱり大和なりに、今の状況にへこたれてたところもあるのかもしれない。
大和が、まだあまり仲良くなってない女の子のことをそういう風に誉めるのはちょっと珍しいことだった。
基本モテていて不自由していないせいなのか何なのか、女の子を見る目は決して過大じゃなくむしろシビアで現実的なんだ。
誰でもいい、何かにすがりたいような気持ちがもしかしたらあるのかもしれない。
そう思い「そうなんだ」と素直に返事をしておいた。
「俺は、頑張る! あの子オトす!」
それに勇気付けられたように大和が高らかに宣言。
(俺に宣言されてもな・・・まぁ、いいか)
「お前も、遠慮せず、頑張れ」
「何を?」
「強がるなよ〜、俺は覚えてんぞ、お前は小学校のときもそうやって好きな子を助けてた」
「え・・・? そんなことあったっけ?」
「ま、覚えてないならいいけどな〜。 じゃ俺は学校戻るわ!」
「うん。またあとで俺も行く」
「おぅ、またな」
大和が去ったあと、俺は深々とため息をついた。
こんなに緊張したのは、大学の入試面接以来だな、と思いながら。